学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

海学校・山学校

沖縄県恩納村の博物館を訪れる。昔のこの地の暮らしが伝わる展示になっており、勉強になる。失礼ながら、村立の施設にしては頑張っているなあと感じた。

この中に、海学校、山学校という言葉のあったことを知り、とても興味ふかく説明を読んだ。曰く、学校に向かうも、途中の海や山で時間を過ごして、結局学校には行かずじまいで終わることがあったこと、子どもたちは学校はつまらないところとわかっており、学校的な勉学はしなかったけれど、生活上の知識はしっかり身につけていたと、1915年生まれの人の回想が紹介されている。そして、海や山で過ごしたことを、子どものたちの間で海学校、山学校と呼んでいたということも。

面白いなあ。学校が日々の労働とはかけ離れた知識や技術を扱っていたこと、それを子どもは経験的にわかっていて、海学校、山学校としてやり過ごしていたことがわかる。そして、学校も来ない子どもの家に連絡するすべもなかっただろうから、おそらく、学校の方もなあなあで済ませていただろう。

現在、学校の位置づけはずいぶんと変わってしまったけれど、人工物としての学校という視点の大切さを持ち続けるためにも、歴史を学ばなければならないと強く思う。当たり前に見えることが決してそうではないことを、繰り返し確かめるために。


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# by walk41 | 2017-03-27 06:58 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

重ねて自分を疑う

15年くらい前に小学校時代を過ごした人から、当時の悲しい思い出を聞く。

習字も習っていたその人は、流れるように「氵」を書くと「冫」のようにも見える習字の先生の筆致を真似して、学校のテストプリントの氏名欄に、自分の名前を書いたそうだ。後日、プリントの返却時、その氏名欄に赤ペンで「×」が記されていたという。教員に尋ねると、「それは大人の書き方だから(子どものあなたが)書いてはいけない」旨を言われたとのこと。

いかがだろう。今なら児童から保護者、次に管理職か教育委員会に連絡がいって、教員が事情を訊かれることが十分に想定される。けれど、当時の当人は辛い思いを抱えて、そこで終えてしまったそうだ。問題にならなかった。

驚くべき行為と発言かと私は思う。氏名欄に何と書いてあるか判別できないのならまだしも(その場合でも、「?」マークをつけるまでが関の山だ)、そうではなく、私の辞書では好みのレベルに過ぎないことに、目くじらを立てて注意することで、「指導者」としての自分をまずは自身で確かめ、そして他者に知らせようとする。

教員は自分で存在照明ができず、他者に認められることで初めて教員になることができる故である。そんな自分の存在を確かめるために、その人を示す優れて象徴的な氏名に対して赤ペンで×をつけるなどまったく無神経なことをする、何と恐ろしいことだろう。

この人は、その後、テストプリントの氏名欄に、ひらがなで自分の名前を書くようになっていたとも聞いた。漢字について指摘された悲しみを避けるように、気づいたらそう記していたのだという。このエピソードは、指導の効果や結果というものが、その場においてとか1時間の授業内で現れるといった教育実践論がいかにいい加減なものか、を示す事例でもある。

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# by walk41 | 2017-03-25 07:25 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

卒業式の別れの言葉

そろそろ終わりだろうか、各地の卒業式は。

ご縁があって式に伺うこともあるが、卒業生が在校生に向かって話す、別れの言葉というのだろうか、私は苦手だ。ネット検索すると、「一人一度以上は発言できるように配慮」された文言がすでに用意されており、児童名を入れれば出来上がる、お手軽ファイルもダウンロードできる。

何が苦手なのかを考えると、男女、強弱と様々な声を連続して聞くことのしんどさがあるのだと気付いた。一言、一文ごとに違う児童が声を上げるこの方法は、当人はいつ発言するかをわかっているけれど、初めて聞く立場としてはひたすら落ち着かない。次の声が予想できない状態というのが結構辛いのだ。また、その児童にとっては限られたチャンス、勢い力も入るというものだろう。一人の発言が続く時に見られる緩急のリズムや間合いがないので、単調な発言が繰り返されるように思われる。これがしんどさの理由ではないかしら。

一度しかない卒業式だから、それぞれの子どもの活躍を、との思いはわかる。だからより聞きやすいように、人数は少なく、かつ台詞も細切れにしないである程度の長さを、と強く願う。



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# by walk41 | 2017-03-23 12:25 | ことばのこと | Comments(0)

たぬき

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関西に在住のみなさんは、お気づきだろうか。家々の前には、けっこうな確率でたぬきが鎮座していることを。

おそらくは滋賀県の信楽産で有名なたぬきの置物の影響だと思われるけれど、失礼ながら他人様の玄関先に目をやると、多くのお家にたぬきのいることがわかる。

小さいものから大きなもの、あるいが酒を喰らっているものや親子狸まで見えるけれど、これはとても面白くかわいい。工事現場のたぬきかな。

こう見ると、関西の多くの地域は、たぬき党の支配下にあるのかもしれない。何となく置かれているようで、実はおもしろいものが、他に見つかるかもしれませんね。
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# by walk41 | 2017-03-22 22:39 | Comments(0)

笑いを大切に

中学校を卒業する生徒たちに次のような文章を書いた。大人にも大切だと思って、自分にも言い聞かせるつもりで記したのだけれど、皆さんはどう読んでくださるだろうか。
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笑いが身体にとって、ひいては人間関係においても望ましいという指摘は、少なくありません。
笑いの多くは、その人が快適なこと、喜んでいる状態を示していますし、さらにその多くは、他者を必要とするものです。思い出し笑いなどを除けば、笑っている人はたいてい、誰かと一緒にいますね。一人で笑っている人にはちょっと近づき難い雰囲気も感じるのです。

そんな大切な笑いですが、学校という場ではどちらかと言えば、抑制されていないでしょうか。学校では「真面目」「真剣」「必死」であるべき、どちらかと言えば、笑いとは相性の悪いものに高い価値が置かれ、笑いは、「不真面目」「ふざけている」「いい加減」と否定的に見なされる場合もあるように思います。はたしてこのような見方は適切でしょうか。

笑いの効用に、笑いが緊張を解きほぐし、自分を冷静、客観的に捉えることで、より楽に、楽しく生きることにつながることを挙げるものがあります。ともすれば思いつめたり、深刻になりすぎることで起こるしんどさを解き放つために、敢えて笑おうと心がけることは大切と言えるでしょう。

「お金持ちはお金をたくさん使う」のように、世の中の多くの出来事が、一方向でのみ説明できるのに対して、笑うという行為が感情と双方向の関係にあることは、しっかり踏まえられるべきです。
つまり、楽しいから笑うということに加えて、笑うと楽しくなるのです。楽しいと笑いたくなるのは、わかりやすいですね。これに加えて、仮に楽しくなくても、笑うことで楽しい気持ちがわき上がってくるということが実証されているのです。これは人間に限らないかもしれませんが、とてもユニークなことだと思います。

しんどい時にこそ、笑うように努めましょう。そうすれば、楽しい気持ちが生まれてきます。すると、悲観的に見えることも「それほどでもないかな」という気がしてきます。あるいは、「じゃあ、こんなアイディアはどうかな」と新しいことも思いつきます。悩み苦しむ中で思いつくこともあるでしょうが、「あれもいいな、これもいいな」と楽しく考える方が、アイディアがいっそう生まれると思いませんか。

卒業にあたり、みなさんがよりたくましく生きていってくれることを願います。そのための道具であり元気の源でもある笑いをいつも携えて下さい。
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# by walk41 | 2017-03-20 12:08 | 笑いのこと | Comments(0)

万世一系

サウジアラビアの王族が来日していることに関わって、彼らが日本の皇室に強い尊敬の念を抱いていると述べるのは、毎日新聞の「金言」(20170317)。それは、万世一系と世界でも稀な歴史と伝統によるのだそうな。はあ、調子に乗るにも大概にしろと言いたい。

万世一系という言葉の定義をせずに、まあこんな感じ、とものを書く人間が使うべきではない。この言葉が、天皇という地位の人間が父から子へ脈々と引き継がれてきたという意味ならば間違いだし、いやそこには母も含むよ、叔父さんや叔母さんルートでもOKなの、と言いだせば、天皇制との絡みでこの言葉を遣う意味がなくなる。そもそも、私もあなたも万世一系なのだ。誰かからの血を引き継いでいない人など、この世にいないぞ。

最近の研究では人類は四種類くらいのご先祖に辿れるとのことなので、東アジアの一部の天皇ゆかりの人間ということになれば、日本列島近辺に住んでいる人の多くは、どこかで接しているとも考えられる。まさに「人類皆兄弟」である。

あるいは、万が一、天皇というポジションに親子かそれ類する血統が続いていたとして、その何がすごいのだろう。子に地位を譲るためには、たくさん子どもを産むという「保険」を掛けなければならず、しかも「何処の馬の骨」かわからぬ人を配偶者に選ぶこともできないから、結局は近親関係者婚姻が続くことになる。これは種の保存上、危険なことだ。環境が変わった時に生き延びられないリスクが高まるから。

つまるところ、この西川恵という客員論説委員は、考えて書いていない、あるいは考えるのが難しい人の可能性がある。こんな人を使っている毎日新聞、がっかりだなあ。

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# by walk41 | 2017-03-17 14:56 | ことばのこと | Comments(0)

教諭の授業担当時数

新年度を控え、新しい校務分掌も決まりつつある。その様子を見ていて思うのは、授業担当時数つまり、校長や副校長はもちろん、教頭や主幹教諭など教諭職でも授業を担当しない教員を除いた教諭の担当授業時数は、どれくらいが適正なのだろうかということだ。

3年ごとに行われる文部科学省『学校教員統計調査』(2013年度)によれば、週あたり教科等担任授業時数は、授業担任ありのみの教員の平均は、小学校で23.8時間、中学校で17.5時間、高校で15.2時間である。これには、学級活動や道徳、総合的な学習の時間が含まれる。小学校は45分授業、中学・高校は50分授業であることを考えても、小高の順に授業担任時数の少ないことがわかる。

ここで、ドイツの教員がフルタイム勤務の場合に担当すべき義務授業時数[Arbeitszeit(Deputatstunden pro Woche) der Lehrkräfte]を見ると、2015/2016年の場合、基礎学校(1-4年生)で27-29時間、基幹学校(5-9年生)27-28時間、実科学校(5-10年生)で24-26.5時間、ギムナジウム(5-13年生)で23-27時間と州単位で分散する。学校段階が上がるほどに授業時数が減る傾向にあることは日本と同様だ。

他方、すべての学校種が45分授業であるドイツの事情を踏まえても、ドイツの教員の担当授業時数は日本よりも少なからず多いと言えるだろう。とはいえ、部活動やあれこれの生徒指導の時間は日本の教員の方が圧倒的に多いだろうけれど。

もちろん、中等学校では教科ごとの担当になるため、担当する教科によっては授業数の少ない場合と多い場合がある。ただし、ドイツの中等教育教員の免許状は、ドイツ語と生物など、二教科の履修を基本とするので、一教科で免許状が発行される日本の場合と比べると、偏りが抑制される可能性は高いだろう。

さて教員のみなさん、ご自身は何時間、授業を担当されていますか。えっ、私ですか。私は2017年度、年間10コマ、半期あたり5コマになっています。大学は90分授業なので45分授業の2倍と見なせば、週あたりの担当時数は10時間ということになりますね。これは少なすぎるかしら。もっと働いた方がいいのかな。結構忙しいとも思っているのだけれど。


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# by walk41 | 2017-03-16 17:26 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

またがる言葉

ファミリーレストランに入って思った。ガストってどういう意味なんだろう。

引くと、公式にはスペイン語のgusto「味わい」という意味から取ったそうだが、同じ意味とスペリングはイタリア語にもあるとのこと。さらに引くと、英語にも食べる楽しみや喜びの意味として、"with gusto" といった表現も見つかる。もっとも、発音はガストとは異なり、あえて言えばグストーに近いかしら。残念ながら、似た綴りで当てはまる言葉はドイツ語にはないようだけれど。

複数の言語にまたがる言葉があること、面白いなあって思う。言葉も旅をするんだね。

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# by walk41 | 2017-03-16 08:54 | ことばのこと | Comments(0)

「日本型」教育の輸出

海外から日本に戻った/やってきた、主に日本国籍を持つ子どもの保護者向けの講演を聴く機会に恵まれた。知ることが多く、勉強になった。

なかでも興味を惹かれたのが、優れていると外国から評価される「日本型」の教育-多くは学校教育だが-の輸出を、日本人学校を拠点に進めようとする国策についてである。

これまでも、朝の会と終わりの会(帰りの会)といった仕掛けが、カイゼン志向の日本人を生み出すことになると、1980年代の日本研究において指摘されてきたし、最近では、学校掃除や給食の時間といった集団的行動が見習われるべきという外国からの評価、あるいは養護教諭が重要な役割として注目され。"ヨーゴteacher"と国際語になっているという新聞記事もある。

これは、外国から日本を見る一つの試みとしておもしろいと思う。何が日本型かの定義の問題は残るものの、日本の学校に特徴的と大きく括れば議論を始められるだろう。森有礼が考案したとされる運動会、その他、特別活動に関わる事項は日本的なものと挙げていい。もちろん、管理主義や過度な同調傾向など負の面も伴うが、国際的に多くの児童・生徒を抱えてクラスが秩序を保ち、かつ「盛り上がり」や「絆」までも求めうる状況にあることは、ある意味で驚異的だろう。ドイツの学校を見せてもらう限り、一クラス25人を越えることはないが、けっこう子どもたちはマイペースだもの(逆説的に、人数が多い方が、凝集性が高まるという仮説も成り立ちうるけれど)。

くわえて驚かされたのは、カタールでは日本の算数・数学教育が注目されているそうで、彼の地の日本人学校に同国の教員が学びに来られているとか。関連記事を探すと、日本郵便がすでに2006年、公文式の算数教育を同国の小学校に普及する教育貢献プロジェクトを始めている(http://www.nyk.com/news/2006/0302_01.htm)。文化的侵略とも言えるかもしれないけれど、何でも向こうのニーズに合わせて始めるというのはすごいなあ。

「欧米に追いつき追い越せ」の時代はとうに去ったとは知っていても、次にどんな局面が来るのか、あるいはすでに来ているのかを必ずしも知っているわけではないだろう。外国の目から日本の学校がどのように見えているのかをちゃんと追いかけること、一部になお残る「欧米崇拝」と「植民地根性」を見つめ直す、いい機会ではないだろうか。
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# by walk41 | 2017-03-14 08:12 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

問いを問う

パオロ・マッツァリーノ『みんなの道徳解体新書』(ちくまプライマリー新書、2016年)を読む。以前の作品と比べて精彩を欠き、ページ数をいたずらに増やすために要らない言葉で引き延ばしている感が強い。けれど一点、「なぜ人を殺してはいけないか」の議論は鋭いなと感心させられた。

それは、死刑制度の温存、自動車運転による死亡事故が不可避なのに自動車運転をやめない、といった例から、「人を殺してはならないではなく、人を殺してもやむを得ない」と考えているのだという指摘である。

確かに、2011年3月の東日本大震災と津波に伴う福島原発の放射能汚染によって、多くの人命が失われたにもかかわらず、原発再稼働に断じて反対と世論があるわけではない。「電気がなくなるとやっていけないから、今度は大丈夫って電力会社も言ってるから、いいんじゃないの」という人がメジャーではないだろうか。「いざとなったら、多少の命が失われることはやむを得ない。それが自分だったら嫌だけど」なのである。「人を殺してはならない」原則はそれほど貫徹していない、とは重要な観察だろう。

問いを立てるだけでなく、問いそのものを問い返すという態度と能力が大切なこと、そのための思考体力を養う必要をより感じる。

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# by walk41 | 2017-03-12 12:48 | ことばのこと | Comments(0)

消毒神話

世の中、知らないことは山ほどあるとは頭ではわかっているけれど、具体的には一つひとつ経験するしかないなと思わされる。きょう知ったのは「消毒神話」という言葉だ。

学校ではよく子どもが怪我をする。擦り傷はその最たるものだ。養護の先生によると、その際に「消毒をして」と言う子もいるそうだが、「水で洗い流した方がいいよ」とアドバイスすると、たいていは納得するらしい。知らなかったなあ、今や大抵の擦り傷くらいならば消毒液は不要だということを。

同時に、学校には消毒液は置かなくてもいいくらいとも聴き、いたく驚いた。きれいな水で患部を洗い流した方が清潔に保つには効果的で、消毒液が健康な細胞まで破壊してしまうダメージが大きいのだそうだ。にもかかわらず、消毒した方がいいと思い込むさまを消毒神話と呼ぶそうな、なるほど。

昨年、学校神話と題して講演をしたことがあるけれど、いろいろな神話がそれぞれの分野にあるのだと思わされる。本当ではないのに、あたかも本当かのように見えるもののヴェールを剥いでいくこと、それが研究の醍醐味だろう。
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# by walk41 | 2017-03-11 00:00 | ことばのこと | Comments(0)

タベルナ

「日本笑い学会新聞」No.134の編集後記にあった。「ハイカラなイタリアンが開店したが、その名がタベルナ、半年後にはお店はなくなっていた」のだと。

これはいささか酷な話で、イタリア語で la taverna とは、居酒屋の意味、英語でもtavernとほぼ同じ表記で単語があるようだ。アルファベットのままにしておけば、何だろうとお客さんが来たかもしれないけれど、カタカナにすると印象が違ったのかもしれない。「食べるな」ではないのだから。

そう言えば、ずいぶん昔だが、こんな話を聞いた。京都の都ホテルが東京に出店したそうだが、ほどなく撤退を余儀なくされたとか。なぜか。看板を見てみよう。「東京都ホテル」、ああ、公立のホテルかあ、と取られたのだろうね。違うんだけれど。

言葉の表記の仕方で印象は大きく変わる。だから教育改革に類することばは、おしなべてカタカナ、新しい雰囲気を醸し出すようにしつらえられている。チーム学校、アクティブ・ラーニング、キャリア教育、アントレプレナー教育、ポートフォリオ、ルーブリック、フィンランド・メソッド…。こうした言葉を、私たちは頭ではなく感覚で捉えているのかもしれない。
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# by walk41 | 2017-03-09 14:38 | ことばのこと | Comments(0)

お疲れさま

ドイツにて学校にお邪魔していた際、教員室で待たせてもらっていたのだが、約束の時間を過ぎても校長先生は現れず、20分くらい過ぎただろうか、忙しさのあまりか大きなため息をついて校長先生が部屋に入ってきた様子を見て、思わず「お疲れさま」と声を掛けてしまった。

すでに承知していることだが、ドイツ語にはこの「お疲れさま」に当てはまる言葉がない。インタビュー後のお茶にて、「お疲れさまとは、苦労したことに対する相手へのねぎらい、大変だったねと共感する気持ちの表れ」と説明をするものの、「そうした概念がない」との答えだった。ふーむ。

日本では特段、学校で教えているわけでもないだろうに、中学生ですらすでに「お疲れさま」と互いに声を掛け合う。大学生に至っては、何でも「お疲れさま」である。学生から来るメールの冒頭にも「お疲れさまです」とあり、今なお違和感が残る。まったく頻繁に遣われる表現といっていいだろう。

これがドイツ語にないということ。先日、合州国出身の人ともこのことを話したが、彼が言うに、"Thank you for your organisation"といった、何を指すかが明らかな場合のお礼はあるけれど、漠然と相手をねぎらうような表現は見当たらないとのことだった。うーん、英語にも「お疲れさま」はなさそうだなあ。

翻訳とは裏切りの意味もあると聞く。コミュニケーション能力万歳の昨今だが、わからないこともしっかり存在すること、それをわかってなお、わかり合いたいという志向性を保持することの大切さを、語学教育では伝えるべきだろう。この点では、外国語を学ぶとは「わからなさとの遭遇」という経験かもしれない。
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# by walk41 | 2017-03-09 14:15 | ことばのこと | Comments(0)

かくも裁量の多い業務

鳥取県湯梨浜町の町立小学校で昨年7月、6年生の女子児童(12)が放課後の水泳の課外授業の際、プールに飛び込み頸髄損傷の大けがをした事故で、指導中の男性教諭が、飛び込みが苦手な他の児童を「腹打ちの三銃士」などと呼んでいたことが4日、分かった。町教委によると、男性教諭は飛び込んだ時に水面で腹部を打つ児童4人に対して「腹打ちクイーン」「腹打ちのキング」とも発言していた。事故後、女子児童の保護者からの指摘で発覚した。町教委は2月、課外授業に参加した児童など計95人を対象にアンケートを実施し、33人が発言を聞いたと回答。「言われた人が泣いていた」「周りにいた先生も注意していなかった」などの記述もあった。(産経WEST、20170304)

もう影を潜めただろうか、こういう主張は。曰く「文部科学省ー都道府県教育委員会ー市町村教育委員会ー校長というルートで強い教育意思が上意下達され、教師の仕事はより細かくコントロールされる。教師の「教育の自由」が奪われていく。」

ところが事実はこの主張とは異なり、どれだけコントロールしようとしても、児童・生徒と直接に関わる最前線、教員の個業的な業務遂行の領域に影響を及ぼすことは難しい。子どもたちやその他の状況に応じて柔軟に、しかも瞬時の意思決定を通じて行われるのが、教員の労働のコアだから、「~あるべき」という主義主張とは別の話として、それぞれにある程度は委ねられるのが、教育という仕事上、合理的だからである。先の論者が言うような「国家の教育権」が隅々まで貫徹するのなら、上のような事例が起こるはずもない。しかし、実はそうではないというのが現実だろう。

だからこそ、委ねられる個々の教員には、認知的・情緒的な自身のバイアスを承知の上、高いセルフマネジメント上の能力が求められる。「教育の自由」とは教員が自分が思う何をやっても構わないということでは全くない。そうではなく、選びうるより多くの選択肢の中から、短い時間で判断、行動できる(行動しないという行動を含めて)態度と力量を、児童・生徒の学習のために活かしてこそ、自由を行使することになる。その自由裁量がなければ、子どもの利益につながりにくいという理念を現実のものとする努力が教員に求められると言うべきだろう。

ところがきわめて残念ながら、この裁量権が濫用され、教員による「悪ふざけ」の様相を呈する場合が今回のケースである。小学生ではまだ教員に正面切って異論を唱えることが難しいのだろう、その分だけ教員の「悪乗り」が増長されうる。

これは、初等・中等教育だけのことではない。「学問の自由」に守られた大きな裁量権を有する大学教員についてはなおいっそうだ。いい加減な授業をしていないか、不確かな理由で休講にしていないか、レジュメもないような準備不十分ではないか、と自問すべきだろう。
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# by walk41 | 2017-03-08 22:24 | 学校教育のあれこれ | Comments(2)

これでdecent-work(人間らしい仕事)と言えるか

この春から教職に就く人たちに対する「採用前研修」があり、これに参加したという人の話を聞いた。

いろいろな話があっただろうけれど、私が聞いたのは、女性の高校教員の話で、その方は、夜は22時に就寝するものの、朝は3時半に起きて、自身の子どもが眠っている時間に仕事をしていると、新人を前に語ったのだという。

むろん、早起きの人が早朝から仕事をするのは結構だけれど、これから教職一年目を迎える人たちに話す内容としては、すこぶるよろしくないと思う。なぜって、こんな時間が普通なのかなんて思われたら、「教職すなわちブラック企業」のイメージが確定だからだ。教育センターはこの人選で良かったのだろうか。

何が人間らしい仕事のあり方かを定義するのは難しいけれど、元気モリモリで頑強な人でなければ教員として勤まらないというメッセージを与えるのは、いかがなものだろうか。多少病弱でも、家庭や個人の事情でフルに働けない/働かない人も学校に関われるような仕掛けを用意すること(だから、短時間勤務制度が必要だとずっと言っているのに。榊原禎宏「パートタイム労働としての教職像-ドイツにおける教員の検討から-」京都教育大学紀要117号、2010年)これこそ大切で、フルタイム以上に働けないとダメだよと言うのは筋違いだろう。

人数に対して業務量が多いのか、業務の構造がよくできていないのか(うまく分業・個業化されていないのか)、それ以外の理由があるのか、これも長らくの研究課題だ。ええい、ともかく緊急避難的には、「できるだけ効率的に仕事をして、早く家に帰りましょう。家では仕事以外のことにより時間を費やしましょう」とアピールするしかないのか、そんなこと何の意味もないのか、わからないことしきりである。
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# by walk41 | 2017-03-07 17:53 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

学校制度とキャリア形成

南ドイツの初等学校4年生たちに尋ねる。「この学校を終えてから、君はどの学校段階まで進むつもりなの?」と。この州では4年生で初等教育は終わり、引き続き5+1年制の職業実科学校、6年制の実科学校、8年生のギムナジウムのいずれかに進むことになるので、彼ら/彼女らの進路に関する意識を少し知りたかったのだ。

女の子A:「職業実科学校、でも実科学校修了資格を取る」
女の子B:「職業実科学校、そこで実科学校修了資格を取る」
男の子A:「実科学校に行って、ギムナジウム上級段階、アビトゥアを取る」
男の子B:「実科学校」
男の子C:「実科学校、ギムナジウム上級段階でアビトゥアを取る」

と、いずれもたずねた瞬時に答えが返ってきた。文字通りの小学校4年生、9歳か10歳である。

日本の同じ学年の児童にたずねたら、何と返事があるだろうか。
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# by walk41 | 2017-03-05 23:00 | ドイツのこと | Comments(0)

コストとそのパフォーマンス

いじめに関する講演を聴いて、驚かされた。

たとえばこんな話、授業中、正解のある問題に取り組んでいた子どもたちのうち、先にできたある子どもが、あと少しで正答に辿り着きそうな隣の子に、求められてもいないのに「答えはこうなんやで」と言った結果、それまで頑張ったことが報われなったその子は、泣き出してしまった-これは「いじめ」に該当するのだという。もっとも、これだけでは「重大な事態」ではないけれど。

そうなのかあ、である。類推すれば、学校からの帰り道、ある子のカバンを、本人が頼んでいないのに「ええで、オレが持ったるわ」とカバンを持った結果、カバンの主が泣き出した、という場合も「いじめ」になるだろう。「オレのカバンを持てよな」と言っても、あるいはカバンを持たせなくても「いじめ」というのは、現象面では反対にすら見えることも、詰まるところ当人が嫌と思っているか、傷ついたと感じているかどうかが重要ということがわかる。

こうした「いじめ」問題に留まらず、できるだけ本人の状況や受け止めに応じて、対応を配慮するというのがいわゆる世界的トレンドであり、日本も国連などで署名しているのならば、この配慮が可能な仕組みを用意する必要がある。たとえば、1クラスあたりの子どもの数、ドイツの学校で30人を越えるクラスを見つけることはまず不可能だが、日本の小中学校ならばまだ普通のことといっていいだろう。

学校基本調査によれば、全国の学級のうち、31人を越えるのは小学校で49.3%、中学校では実に80.1%(2012年度)に達する。「先進国」並の水準を望むならば、1クラスを20人台にするというくらいの教員定数の設定は不可欠だろう。

この点で不思議なのは、ドイツの学校をいくつか見る限り、教員に対する子ども数が10数人、多くても24人くらいまでなのに、統計的には、子ども一人当たりの教育費は日本とドイツに大きな違いを見出せないことである。ドイツに大規模な学校が多ければ、納得できなくもないが、事実はおそらく反対で、自治体が日本のそれと比べてはるかに小規模なことから、学校規模も相当に小さい場合が多いと想定されることだ。

では、なぜドイツは、クラスあたりの人数が少なく、学校の規模も小さいのに、コストは抑えられているのか。教育行財政の勉強から久しく遠ざかっているが、これに取り組んでみてもいいかもしれない。
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# by walk41 | 2017-03-04 19:51 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

教員の学校間転任人事

南ドイツの初等ー前期中等学校の校長、13年目になる方と話をする。

同氏は、場合によっては同じ学校に30年、35年と勤務する教員が決して珍しくないこの地の状況を嘆かわしく思っているが、如何ともしがたい。というのは、「本人の希望がない限り、学校間を転任しなくてもいい」というルールが、同州の教員人事に基本的に貫かれているからだ。

同じ学校に長く勤務すると、あまりに慣れてしまい、新しいことへの挑戦や革新が、なおざりになってしまう。「10年くらいまではいい。けれど、それ以上は長すぎだ」と同校長は見る。

ひるがえって日本の学校間転任人事は、明治の頃からおそらく全国津々浦々まで、幅はあれどまず10年間を超えることなく、すべての教員に対して行われてきた。もっとも、高校なかでも専門教育学科に関わる教員については、該当しない場合も少なからずある。世で語られる「こんな風なのは世界でも日本だけ」という常套句は、ほとんどが間違いや虚偽だが、この仕組みについてはおそらく日本だけ、しかも100年以上の経験を持っているものだ。それは、いったい誰のアイディアだったのだろうか。

ともあれ、教員が新しいことに臨む姿勢に乏しくなっていくこと、その結果/原因として、教員の自己革新が見られない様は学校管理職の悩みの一つ、という点は、日本とドイツのこの地に共通するようだ。


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# by walk41 | 2017-03-03 20:47 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「おもてなし」の源泉

以下は、中学校の生徒会誌に寄せたものです。皆さんはどうお考えになりますか。

……

卒業生を始め在校生の皆さんは高校に進み、やがて社会に参加していきます。その先にある就職については、第三次産業に就く人がおそらく多いでしょう。そこで問われるのが、第三次産業に顕著な対人サービス労働のあり方です。


農林水産業や工業とは異なって、具体的な商品の提供というよりも、顧客のニーズ(需要)に応え、満足や喜びを得てもらうことがより大きな目的である対人サービス労働では、働く人の自発性や創意工夫が対人場面でより求められます。顧客の要望を聞き、それに適した商品を探し、アレンジ、購入へと誘うのです。また、その後をモニターし、改善を図ることも仕事に含まれます。その労働の価値は商品そのものよりむしろ、顧客と商品の間を取り持つ点にあります。


私たちが毎日の生活で出会う、店員さんあるいは市役所の人、さらには学校教職員の仕事もここに含まれます。棚に並ぶ商品、予定されている行政サービス、伝えられるべき教育内容はすでにあるのですが、それらをいかに顧客や市民そして生徒に伝え、できるだけ好意的に受け取ってもらえるように手助けするかが、対人サービス労働の質を決めるのです。


例えば、愛想の悪い店員のいる店には行きたくないでしょうし、笑顔の乏しい教員の授業ではおそらく学びも少ないでしょう。同じ商品でも同じ教科書でも、受け取る側の印象は随分と違いますね。この点で「おもてなし」とも言われる接遇(hospitality)のあり方がいかに決まるのかに、私は強い関心を持っています。


例えば、私は南ドイツに行くことが時々ありますが、鉄道サービスの日本との違いに、毎回驚かされます。先月の経験では、①食堂車にて客席で鉄道スタッフが休憩を取り、その周りには商品でもある飲料ケースが置かれ、客が相席できないかと尋ねても拒否、②サービスコーナーのスタッフが営業終了時間の5分前に帰り支度を始め、訪れた乗客に、仕事はもう終わりだから明日電話してくれと不機嫌に言う、③予定時刻よりも5分早く電車が駅に到着、多くは遅れてくるので珍しいこともあるなと思っていたら、何のアナウンスもなく、予定時刻より早く発車。これらはあくまでも私の経験した限りですが、同様の話をそこに住む人々としても異論には出合いませんから、およそこんな状況かと思われます。それは日本と大きく違うと感じませんか。


ドイツは私の友人や知人がいる大切な国の一つですし、ここでドイツ批判をしたいわけではありません(しかし、鉄道サービスの抜本的な改善は願いたいです)。問いたいのは、同じ人間なのに「おもてなし」の現れ方がなぜ地域や場面で、こんなにも大きく違うのかということです。片や過剰だとも言われる日本の対人サービス労働の源泉は、いったいどこにあるのか、皆さんも考えてみませんか。















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# by walk41 | 2017-03-02 15:36 | 身体 | Comments(0)

遊びごごろと気遣い

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他のパッケージでもあるようですが、たたむと現れてくる「たたんでくれてありがとう♡」の文字、ちょっと嬉しいです。
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# by walk41 | 2017-03-01 20:43 | ことばのこと | Comments(0)

「赤福を取り出してもらってもいいですか。これは斜めにしない方がいいですから」

国内線のセキュリティチェックにて、「荷物を横に倒してもいいですか」「どうぞ」の次、カバンに赤福が入っているのを見た検査官が、こう言ったのだ。

数多の乗客のものを扱うだろうに、こんなセリフがさっと出てくるあたり、観察力とその結果を表現するコミュニケーション力に秀でているなあと感心する。気遣い、丁寧さといった身体表現がいかに発現したりしなかったりするのか、とても興味深く思う。

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# by walk41 | 2017-02-28 12:48 | 身体 | Comments(0)

echt schlechte DB!

ドイツの友人や知り合いと、ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)のありさまを批判、愚痴って、反論されることはありません。異口同音に「ドイツ鉄道はアテにならない」「それは酷い」と返ってきます。「ドイツ鉄道とドイツの自動車協会は密約を結んでいて、酷い鉄道を維持することと自動車業界を興隆させることが合意されているのではないか」と、冗談とも本気ともわからないお喋りも聞こえます。とにかく、鉄道サービスの体を為していません。

今回の滞在でも、こんなことがありました。
○電車が遅れることが日常茶飯事な中、珍しく時刻表より5分ほど早く駅に到着した。当然、駅で予定時間まで待っていると思いきや、4分ほど早く発車したのだ。発車を知らせるアナウンスもなされず、突然扉が閉まるから、危ないこともこの上ない。そもそも、乗るつもりの客を無視している。電車は趣味で走らせているのではないぞ。

○電車内で忘れ物をしたのでサービスコーナーに伝えに行ったら、17時までの営業時間を5分ほど残しているのに、女性職員は帰り支度を始めており、「今日はもう終わりだから、明日に電話をしてくれ」と言い出す。それは困ると粘ったら、「今から自分は寛ぐ時間なのに("Jetzt ist Feierabend")」と文句を言いつつ、しぶしぶ電車の行き先の駅に電話をしてくれた。

○切符の販売機は、クレジットカードを受付けるが、そのカードを読み取るときとそうでない時があり、複数のクレジットカードを試しても購入できないことがある。発車時間が迫っていると焦ることこの上ない。

これらの背景や理由と思われるのは、乗客に対するミッションのいかんのように思います。乗客を安全、快適、予定通りに目的地に届けるという使命感がまず伺われず、「こんなんでよかったら、乗ってもらったら」の水準を超えないのです。切符の検札の人の中には愛想のいい人もいますが、乗客に対する丁寧さ、物腰の低さはまあ感じられません。以前の経験では、「みどりの窓口」にあたるところでクレジットカードで切符を求めたら、カードを投げて返されたことがありました。切符もそうされることが珍しくありませんが、カードや切符をお客の方に向けて、両手で返すというどこかの世界とは文字通り雲泥の違いです。

こんな愚痴を、DBの広報に送ろうとも思いつつ、そんなことをしても仕方ないかなとも感じてしまう、まあやっかいなことです。Warum ist die Deutsche Bahn so schlecht, wie nie vergleichbar mit andere? どうしてこんな無様なのでしょうか。
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# by walk41 | 2017-02-26 23:37 | ドイツのこと | Comments(0)

美味しいBretzel

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ドイツに行くことの楽しみの一つは、美味しいBretzelを食べることです。ドイツ南部に限るのかしら、大変に好まれる、また日常的に食されるパンです。

この日も、訪れた学校で用意くださいました。バターが挟んであるButterbretzelです。塩が少し効いたバターと表面がカリカリ、しかし中はしっとりのこのパンをもらうと、ドイツに来たなあと感じさせられます。

日本でもこんな美味しいものを焼いてくれるところはないのでしょうか。

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# by walk41 | 2017-02-26 07:35 | ドイツのこと | Comments(0)

洒落っ気

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「校長が執務中」と銘打ったポスター、南ドイツの初等・中等学校の校長室の扉に貼ってあります。

洒落っ気があると思いませんか。どうせなら、楽しく仕事をしたいものです。



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# by walk41 | 2017-02-24 02:05 | ドイツのこと | Comments(0)

おおらかな学校生活

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南ドイツのこの基礎学校におそらく限らないでしょう。とくに冬は雪解けで生じる泥で校舎が汚れるのを避けるために、子どもたちは外履きの靴を脱いで、上履きに履き替えることを求められます。とはいえ、下駄箱があるわけではなく、教室の前で履き替えるだけです。

そこで興味深いのは、上履きについて何かルールがあるわけではなく、みんな好きなものを履いているということです。写真の3年生男の子は、ハンバーガーの形をした上履きですし、ある女の子はソックスのみでした。全館暖房で、床もそれほど冷たくないのも理由かもしれません。

こうしたことの是非は分かりませんが、楽しくなるのはこんな上履きを見ることでしょう。


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# by walk41 | 2017-02-23 15:24 | ドイツのこと | Comments(0)

くつろぎすぎ?

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何事もバランスが大切でしょうが、こういう雰囲気も個人的には好きです。

クラスメイトが数分間のプレゼンテーションをしているのを聴く、仲良しの女の子二人組。南ドイツの中等学校、6年生です。きっと嬉しく心地よいことでしょう。

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# by walk41 | 2017-02-22 01:17 | ドイツのこと | Comments(0)

警察と学校との関係

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南西ドイツの中等学校にて。教室に写真のような警察提供のポスターが貼ってありました。「楽しいのは、みんながそのことを笑えるとき」と、誰かを笑い者にすることを戒めるものです。

このほかにも、学校生活で起こるであろうことに関わる標語があります。「暴力は犠牲者を決めるのである。加害者ではない」「互いに話をすることが、暴力にとって強敵となる」「声を上げない者は犠牲者を孤立させ、加害者の後押しをする」といった文字が大きく記されています。

それだけ問題があることの裏返しでもあるでしょうが、警察のアクションが学校で活用されていることを知った次第です。

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# by walk41 | 2017-02-18 12:34 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

席を替える

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南西ドイツのこの学校では、生徒に応じた学習を促すことを眼目の一つにしていますが、写真のような標語が机に貼り付けられているのを見ました。「(勉強に)集中できない時は、進んで座っている席を換えます」

教室いっぱいに机が置かれているようでは無理な話ですが、そのことを含めて、よりそれぞれが学習を進めやすい環境に心を砕くことが大切ではないと思わされます。

別のクラスでは、「(言われなくても)自分で勉強を進められる」と教員から認められた生徒は、教室から出て、もう一人のクラスメイトと廊下に置かれた机に向かっていました。いつも教員の所作に注目しなければならないような場では、進む勉強も阻害されえます。主体的であるとか自律性を持つというのは難しいテーマの一つですが、少なくともチャレンジしてみること、そんな勇気が必要ではないでしょうか。

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# by walk41 | 2017-02-17 13:55 | 身体 | Comments(0)

遊び心

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南西ドイツのある街で、面白い案内を知りました。

この街には州が管理する、バロック様式の素敵な城があるのですが、2/17までの期間、入館窓口にて、カップルがキスをしたら、入場料が無料になるという企画をしているのです。写真はそれをPRするカードですが、なかなかいいでしょう。

行政機関にもこんな遊び心がもっとほしい、と思わされます。


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# by walk41 | 2017-02-16 11:51 | ドイツのこと | Comments(0)

こんなに矛盾しているのに

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「タバコは著しく健康を害します」と表示しながら売るタバコのコーナー。

こんな文言を読んだからと言って止めないことの証かもしれないね。

アラブ首長国連邦のドバイ空港にて。

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# by walk41 | 2017-02-15 12:37 | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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