法政大がまとめた都道府県幸福度ランキングで46位だった高知県の土佐経済同友会は13日、一人当たりの酒量や家族や仲間と飲みに行く回数などを指標に含めた高知独自の幸せ指数「GKH(Gross Kochi Happiness)」を導入し、「日本一の幸福実感県」を目指すべきだとする提言をまとめ、県と高知市に提出した。‥
提言ではGKHの指標に、豊かな自然環境と観光客の満足度や、医療機関・介護施設の充実度などのほか、飲み会の回数や酒量も含め、「地域の絆の強さが表れる項目で評価すれば、高知らしさが表れる」とした。‥「実際には県民の多くは幸福だと感じているはず。新たな価値基準に基づいて中長期的な戦略を練り、県民の幸福を追求すべき」などと話した。(2011年12月13日、読売新聞)
酒量が多いと幸せともいえるが、不幸の始まりでもある。自分の県のランクが高くなるような指標を考えるという、逆転現象が生まれるのは、それぞれの幸福観があるからこそ。
学校でも数値化目標を掲げるところがあるが、それは誰にとっての「幸福度」なのか。また、それが達成できなかったときは、どうすればよいのか、「改善」の手立てはあるのか。
そもそも、児童・生徒とはいえ、限られた期間で人間の変化を測定することにどれほどの意味があるのか。またとらえようとする側の能力や「まなざし」の問題はないのか等。
だから、「学校ってよくわかんない」ってことにいつも落ち着くんだなあ。かといって、これを超えなきゃという発想も魅力的でないし‥。今更ながらどう考えたらええんやろと困っている。