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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

検証できない授業

誰が言い始めたのか知らないが、「仮説-検証」という授業研究のスタイル、これはいったい何だろうか?

授業仮説-「『考える過程』において、原発の必要性や問題点を自分たちの生活とかかわらせ、根拠を明らかにして話し合うことができれば、自分にできることは何かを考え、今後の環境をよりよくしようという心情を育てることができるであろう」

本時のねらい-「真理を大切にし、進んで新しいものを求め、工夫して生活をよりよくしようとする心情を育てる」(小学校6年生、道徳)

…と一例あり。http://www.center.gsn.ed.jp/curriculm/data/web-sinsai/1/31.pdf

失礼ながら申し上げよう。まったく変な文章だ。これを書いた人がそのことに気づいていれば、まだ救いがあるけれど、もし、この通りに思っているならば、教員の「学力」が本当に心配になる。

さて、授業が教員と児童・生徒の織りなすコミュニケーションとすれば、そこには、2つの特性を前提にしなければならない。

一つ目、もちろん教員は授業の主題や重点をもって教室や体育館に臨むが、それが計画どおりに進むことはありえない。なぜなら、教員は業務なので懸命に取り組もうとするが、子どもたち、なかでも義務教育学校の児童・生徒にはそれへの「義理」はなく、おもしろいと思ったらこっちを向くし、つまらないと思ったり、また教師とうまくいっていなければ、相手にしてくれない。子どもにとって授業は、仕事ではない。

また、授業で教員はだいたい一人だが、児童生徒は数十人のことが多い、子どもたち各々の反応、そして彼らの反応の総体がどうなるかを読むことは無理である。たとえば、授業に対して「肯定的」「否定的「どちらでもない」と3種類を挙げるだけでも、30人の生徒がいれば、彼らの起こしうる反応は、3の 30乗、つまり、205兆8911億3200万通りある。これでは、先読みすることはおろか、今どうなっているのかを捉えることすら、まずできない。

ましてや、「生きる力」論のもとでは、子ども自ら学ぼうとする意欲や姿勢が重んじられるので、教師から伝えるだけでは望ましくないとされる。こんな関係において、一方のつもりだけが貫かれるなど、やり方の問題ではなく、原理的にありえない。これは、おしゃべりをするのに、自分の思うように相手が話すことを期待するほど無茶な話である。

二つ目、子どもたちが仮に全員、「肯定的」な態度を見せて、教師の進めたい方向に沿ったとしても、その結果がどうなったのかを測定することは不可能である。なぜなら、子どもの様子を捉えようと、教師が生徒に視線を注ぐだけで、その生徒は様子を変えて、違う表情を見せるのが、ごく当たり前だからだ。「観察されると、対象は変化する」という人間(に限らないが)の特徴から、授業者が児童生徒の「自然な」姿やその変化をつかまえることはできない。

教室の外から、そこにいることにすら気づかれずに第三者が観察できれば、彼らの様子を捉えられるかもしれないが、そんなことは実際的でない。なにしろ、研究授業では、教室の後ろや横に大挙して教員がやってきて子どもたちを見つめていることを、子どもに見られているのが通例なのだ。あれは、仮説を検証しようという気が、はなから教員にないことを象徴している。

くわえて、子どもの様子や変化をつかまえるための道具に決定的な限界がある。自然科学では、顕微鏡や双眼鏡など、肉眼では捉えられない多くの測定機器が開発されているけれど、授業では教員の目と耳、そして手と足くらいしかない。「見えた」「聞こえた」「感じた」くらいがせいぜいだ。

もちろん、これらの限界は大きく測定を制約する。教員の生まれながらの「能力」に加えて、加齢とともに視力と聴力は低下し「鈍感」になる。そもそも、見ようとしなければ見えず、聴こうとしなければ聞こえない。教室で生じている風景をすべて認知するなど、不可能である。そして、教師の語る子どもの姿は、「元気そう」「明るい子」「負けず嫌い」といった、まったく主観的な域を出ない。客観的な言葉を持ち得ない世界ゆえである。要は、「私はそのように見た」という話で、他者に共有されることを前提にはできない。「わかってくれたら、ラッキー」くらいのものだ。

授業のこうした特性、①どんな展開になるかわからない、②どう展開したかを測ることもできない、が確かめられるならば、「~すれば~になるだろう」という、仮説-検証として遣われる文言そのものが、とんでもない勘違いの上に成り立っていることがわかる。①教師の考えたような展開になる、②その狙いが達成されたかをつかまえられる、…まさに、教育主義の最たるスタイル。こんなことを、いつまで続けるのだろうか。

ひょっとしたら、「~すれば」という言い方は、「~にならないかもしれないけれど」という教師の控え目な表現なのかもしれない。その通り。「~すれば」はまったくその通りにはならないのだけれど、ということを述べているのだ。だから、後半の「~になるだろう」も確かめる必要がない、ということかしらん。

教員に辛口な文面だが、義務教育学校、なかでも小学校の先生方、これにぜひ反論をしてください。どんな授業研究が可能なのか、また意味があるのかを深めるために。
by walk41 | 2012-08-08 13:00 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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