学校で校内研究会を見せてもらうことがある。
議論の後半、司会の研究主任が教員に問いかける。「授業で、一人学びを意識されている先生方は?」、何人か手が上げた…。
門外漢やからかな、さっぱりわからん。「一人学び」って何や、これ。誰が発明した言葉やろうか、とGoogleを引いたら、1870万件もヒットした。こんなにも多く…。研究題目 「一人まなびのできる子の育成」なんていうのもあるわ。これっていったい…。
ちなみに、goo辞書には、【独り学び】指導者なしに、自分だけで学問や技芸を勉強すること。独学。独習。また、そのための書物。独習書、とある。これならわかる。まさに学ぶということやもん。
でも、「一人学び」ってどういうこっちゃ。ましてや、他の子どももぎょうさんいる学校という場所で「一人」って、おかしくない?。学校関係の文書を見ると、「一人」は「集団」との対比で記されていることが多そうだけれど、我流の辞書では、「独り」は「一人」とちょっと違って、独立心が強いように感じる。自分で考えて、(悩んで)、何かを深めるイメージだ。
これに比べて「一人」は、他者との距離の問題になっている気がする。でも待ってや。一斉教授方式って、だいたい「一人」なんとちゃうのん。教師が発問して、子どもにそれぞれ答えさせる授業って、「一人学び」とはちゃうと思ってるんかなあ。
結論-曖昧でイメージ先行の言葉は使うべからず。「練りあい」のある授業、「一人一人を認めあうクラス」なんかもそう。言っている人が酔っているのではないかとすら思うで。もう止めよう、こんなことば。
これに対して、「独り学び」はええ言葉や。教師がいなくても学ぶことはたくさんある。いまこそ、学校批判の先駆けともいえる、I.Illich とかを読み返すべきやな。