京都大学の研究グループが、GNH(国民総幸福量)の向上を目標にするブータン国の研究をスタート、という記事を読んだ(京都新聞、2012.2.7).
その報告によると、ブータンでは平均1時間半、20歳以下の若者でも30分弱の祈りの時間を毎日もっているのだという。これが97%の国民が幸福を感じるブータンの背景にあるのでは、というのが、研究仮説の一つだ。
祈りが、外からの刺激を遮断し、沈黙し、動かずという形式を伴うものならば、日本に住む私たちのどれほどが、こうした時間をもっているだろうか。
学校でも、登校から下校まで、常に何か活動することを求められる。なかでも授業中は、挙手をし、発言し、表現することが望ましいとされる。掃除の時間は黙ってという学校もあるが、作業していることに変わりはない。「何もしない」状態とはほど遠い。
それどことか、ともすれば、静かな状態は「明るさを欠く」、「悩みを抱えている」、「ひとりぼっち」といった烙印を押されかねない。じっとしていることは望ましくない、という意味世界にあふれているのだ。
見えないものを思い、自分を見つめることで得られることを、いま失っているのかもしれない。1時間半にはとても届かないけれど、わずかでも試してみたい。