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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

1世代は「1時間」

新春から放送されているNHKスペシャル、「ヒューマン(4回シリーズ)」をご覧になっているだろうか。

人類の祖先がアフリカに誕生したのはおよそ20万年前。それが、おそらくは人口増加を契機に世界中に進出していったという。

地球誕生から50億年近くを1年で数える「地球暦」になぞらえて、20万年を「人類暦」1年と見なしてみよう。すると、「1日」は20万年の365分の1、おおよそ550年になり、「1時間」は23年くらいとなる。ちょっと短めかもしれないけれど、おおよそ1世代に相当する時間の長さだ。

すると、人類最初の世代から今の我々までは、8760世代。1万には少し手が届かないけれど、だいたいそのくらいで考えてみればよいだろう。

3世代分くらい、つまり70年間前後、今の人間が生きるとすれば、それは「人類暦」の「3時間」にあたる。日本の場合、明治維新から現在まで144年になるから、6世代くらいだ。明治の始まりから第二次世界大戦の終わりまでが約3世代、つづく戦後から現在までが約3世代、いずれも人類の暦では「3時間」となる。

ここで問題、およそ1万近くの世代交代が行われている人類だが、その始め、20万年前から今に至るまで、二足歩行と2つの目、1つの鼻、1つの口、それぞれ5本の指は基本的に変わっていない。ならば、「教育」によって、どれほど人間に影響を及ぼすことができると考えればよいだろうか。

小原秀雄『教育は人間をつくれるか』農山漁村文化協会、1989 年、を思い出す。 人間を生き物として捉える視点、そして教育というものがどこまで人間に影響を及ぼせるかという問い、刺激的だった。

先の「暦」に戻ろう。1万世代近い家系をもつ人類において、近代化と言われる時代は産業革命から数えて、長くとも10世代(230年)くらい。全体のわずか千分の1の長さに過ぎない。せいぜいその辺りから始まった近代国家の成立と展開、そして学校教育のスタートということなのだから、その及ぼせることなど、そよ風程度なのかもしれない。

学校教育で問われる子どもの認知と感情、理解や振るまいなど、ご先祖さまからすれば、当たり前に過ぎることなのかも。「子どもが変わった」論など、軽くあしらわれそうなテーマだろう。それに近代人である私たちは、蟷螂の斧のごとく「人間改造」に向かおうとしている。その「勝算」はいかに。みなさんと大いに議論したいテーマだ。
by walk41 | 2012-02-08 22:42 | 学校教育のあれこれ | Comments(6)
Commented by もくれん at 2012-02-09 00:38 x
教育による「子供が変わった」という教育の力を信じたいです。だからこそ教育の技術者としての技を磨いてほしい。この技を持っているか否かによって時間をかけずに、良くも悪くも変容していく子供たちを見てきました。
Commented by walk41 at 2012-02-09 08:20
コメントをありがとうございます。多面的に深めたいテーマです。

一点のみ。教育はどんな意味で「技術」なのでしょう。私の見方では、技術とは法則的に、繰り返し適用できるもの(application)と考えますが、教育-学習関係は、「~すれば、~になる」と言えないことがほとんどで、ブログに書いているように「出たとこ、勝負」ではないでしょうか。

むしろ、そこにどんな意味を与える(implication)かが問われるべきで、「わかった」「育った」といった言葉にどんな内容が込められているか、そうした言葉を紡ぎつつ、同時に解きほぐすこと、-これをくり返すことが大切ではないかと考えます。「技術」は確立されると、当たり前(常識)になって疑わなくなります。教育-学習という出来事は常に疑問に思い、問い直し、違うことをやってみることにこそ値打ちがあるのではないか、今の私はそのように考えています。
Commented by もくれん at 2012-02-09 19:45 x
先生、反応していただきありがとうございます。
先生のおっしゃる法則的に繰り返し適用できる技術の定義とはちょっと違うかもしれませんが、私の考える教育の技術は一元的なハウトゥー的な技術だけではなく、教育心理や原理を理解し、多様な場面にも柔軟に対応し、様々な子供たち一人一人が見守られていると感じ、頑張ろうって思えることができる技と捉えています。しなやかさをみにつけた厳しさというか、これもある意味技術ではないかと思っています。なかなか法則的にはならないと思いますけれど。先生の「教育-学習という出来事は常に疑問に思い、問い直し、違うことをやってみることにこそ値打ちがあるのではないか」この繰り返し、情熱が技術だと私は思っています。
Commented by walk41 at 2012-02-09 22:20
こちらこそ、ありがとうございます。

もくれんさんが仰ることはわかるつもりです。その上で、ではどのように技を身につけたらいいのかとたずねられると、「タイミング」「あうんの呼吸」「以心伝心」「なんとなく」と言った言葉に収められてしまい、およそ、言語化つまり、客観化することがほとんど無理な、曖昧で捉えどころのない世界、このため伝えることもままならない領域なことは確かめられるべきかと思います。

言葉にすれば嘘になる、いつぞやの歌謡曲のようですが、こうした言語化できないところにこそ、教育-学習のおもしろさ、醍醐味があるといこと、だからこそ、教育しようとする側には、「ハンドルの遊び」あるいは「わからなさ」をむしろ楽しめるような、ゆとりを持てるような働き方をお願いしたいな、と強く思うのです。

なお、宣伝です。こうした曖昧さや勘違いな風景が学校にいっぱい転がっているのではという関心から、大学院生たちと書いた論文です。ぜひご覧ください。本邦初、といってよいほどのイラストがたくさんです。 http://cert.kyokyo-u.ac.jp/journal11/22.pdf
Commented by もくれん at 2012-02-11 09:11 x
ソフトなイラスト入りの論文の紹介ありがとうございました。^^;
教育は>言語化できない技術だからこそ>「身体全体で職務に就く職だからこそいっそう生じる感情的、主観的な側面を包摂した「技」(art)を担うものとして教師を捉え、その職能を高めるという視点がいっそう求められる。」
意図がやっと読み取れました。ごめんなさい。ありがとうございました。
勘違い、思い込みではない教育が行われるよう、進むべき方向や目標にせまる技を身につけていきたいですね。
Commented by walk41 at 2012-02-11 14:36
いえいえ、こちらこそ指摘をいただき、より考えられます。ありがとうございます。

techinique と art という2つの技は、脳科学の知見にも対応するように思います。前者は海馬を経る暗記や思い出といった記憶に関わるもの、後者は海馬を経ない、体操、手編み、ピアノ演奏といった「技の記憶」とも言うべきもの、と捉えられないでしょうか。

そして、公教育に関わる仕事が多分に後者であるならば、「タイミング」「あんばい」「呼吸」といったものと上手くつきあえるように、感性の豊かな働き方ができること、また、そのための基礎としてメタ認知のできる知性を獲得すること、が大切になるのだと、考えます。
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