ある中学校での会合に出席した。教員と保護者、地域住民のみなさんが夜の学校に集う。そこで挙がった話題の一つが、「どうしたら生徒は勉強するか」について。
傍観者的には、いつの時代も聞く話ではとも感じるが、「自分の頃は将来の目標に向かって頑張った」「今の子は、刹那的なことばかりに関心がある」と、大人の意見はなかなか手厳しい。
そこで「ちょっといいですか」と、話をさせてもらったのは、
1.無理矢理にでも勉強させる、ことを考えるのでなけれは、大人にとっては口惜しいけれど、生徒がやる気になる方向を考えるしかない。
2.「今すぐに役立つ」とか「おもしろい」とかと感じられる内容にはなりにくいのならば、それ以外の「もっともらしく思われる話」を用意するしかない。
3.たとえば、「将来のために」と言われて、納得する生徒もいるだろうが、それで得心しない生徒にはどんなストーリーを示すことができるかを考えなければ。
4.2と3が個人的な「利益」に関することだとすれば、残るのは社会的な「利益」に関する話になる。たとえば、「友だちのために」「家族のために」「地域社会のために」「天下国家のために」と言えるだろうか。
…と。みなさんにどれほど伝わったかは、わからないけれど…。
人は自分の利益を喜ぶと同時に、自分にとって「意味ある他者」の利益を喜びもする。今の学校の勉強は、「君の頑張りはみんなのために(こそ)なるのだ」という物語を成り立たせているだろうか。