「科学における観察者効果とは、観察するという行為が観察される現象に与える変化を指す」(Wikipedia)。
授業って、まさにこれが当てはまるだろう。研究授業や公開授業には、普段とは違う「お客さん」がいっぱい。子どもはまあまあ緊張、教師はもっとだ。いつもだったら用意しない指導案を準備して、教具・教材もたくさん揃えたり、自分たちを撮影するカメラを意識して振る舞う。「先生、初めてカラーチョーク使った」とも言われる。日頃の授業とは大きく違う。
では、いつもの授業はどこに行けば見られるのか。それは第三者の誰にもかなわないこと。彼らが教室に入ったとたんに普段の授業は姿を消して、「よそいき」に変化するから。つまり、第三者がいつもの授業を捉え、さらに評価するのは、そもそも無理なことなのだ。
では、授業評価や教員評価はどうやればいいのか。当事者でない立場にはまったく口惜しいことなのだけれど、授業者と児童生徒による自己評価とそのフィードバックでほとんどおしまい。せいぜいが「教師としてのカン」が働く同僚からのアドバイスだろう。
自分たちでしかわかることのできない授業を、それなりに捉え、よく振り返ることができるように環境を整えること、授業をやりっぱなしにしないで、見つめる「忙しくない」時間を確保すること、そして少しづつ変えていくこと、これが、提案しうるアイディアの限界ではないかと思う。
「客観的に授業を評価する」なんて、そもそもどんなこと? いったい誰が言い出したんやろうか。