岡山発のアパレル業界社長、石川康晴さんを紹介する番組を見た。
2000人ほどのスタッフは全員が正社員、モチベーションを高める上で大切と決めたのだという。また、コマーシャルを打つこと、これも95%にやる気が高まったという研究報告を聞いて始めたのだそうだ。
そして社員への働きかけ、「頑張れとか説教とかはしません」という同氏は、「顧客満足度(CS)を高めるにはどうしたらいいか」を問いかけ、考えさせることを重視するという。接客を競うコンクールで表彰するのはその一つだろう。
このようにマネジメントとは、その人がそうした状態にあることを「合理的」と捉えることから始める。「雇用が不安定で、名の知れていない会社に勤めていて、上からは目標達成をと叱られるばかり」では、やる気が起きないのは当然だと考えるのだ。そして、その人にとって「合理的」になるように、環境を変えることを通じてその人を変えていく発想と手法が次に問われるのである。
これに対して、「いやでもやらせる」「法的拘束力を持たせるべき」という考え方は、人間の「合理的」なありようを理解できず、自分の思い込みにもとづく人間不信の哲学によっている。こうしたことを主張する人は、自分がそのように育てられたままを踏襲しているのか、それとも、あまりにちゃらんぽらんな大人に囲まれて成長したために、大人になってから反発しているのか。
いずれにしても、人間に対する理解が不十分という点で、まず学校的な意味で学力が低く、また実践に役立たない(懲戒をムチにやらせるのだから、すでに失敗している)という点で、実生活上でも低学力である。学力の低い人間が人の上に立つとロクなことがない、という好事例がいま進展している。