新年度の教職員人事が、オープンになりつつある。
ある県のプロジェクトに関わっているのだが、そのメンバーの大半が入れ替わると聞き、驚きを隠せない。「え~、そんな~」という感じである。
人材は有限だから、あちらで活躍してほしいと引き抜かれる。また、こちらで活躍してほしいと留まる。どちらでもほしい人なのだから止むをえないけれど、片方に思いの強い方としては、困った、残念、というのが正直な気持ちだ。
ところ替わってドイツでは、学校間について人事異動はまず起こらない。本人が希望、別のポストがあれば話は別だが。この6月、友人が定年で退職する。彼女は今の学校に30年以上勤めた。愛着の強さはひとしおだろう。
ドイツでは、退職後に元教員が学校の手伝い、子どもの宿題を見たり、ちょっとした面倒を焼いてくれたりする。こんなことが日常的なのも、数年で学校を離れないからかもしれない。
かくも、日本における人事異動は国民的行事と言ってよいほどで、総務から財務へといった職務間の異動も珍しくない。だから、職務給を基本に発想されるような人事評価はなじまないのだ。
職務を基準化したり、コンピテンシーと要素や特性を挙げても、やっている仕事はそんな枠に収まらないキャリア形成が一般的だから。そのたびに職務を規定し、そのどれほどに対応しているかを管理者が判断するコストを考えると、採るべき方式ではない。そんな人事上の特徴を踏まえないで人事評価がなされているならば、まったくムダなことである。