NHKスペシャル「故郷か 移住か ~原発避難者たちの決断~」(2012.3.24)を見た。
原発事故後、避難を余儀なくされ、その後の帰宅のメドもなく、漂流状態の住民を描き出していた。そこで印象的なのは、年配の人は住んでいた町にみんなと帰りたいと考えるが、子どもたちのこれからを考える若い世代は、新天地を求め去ろうするということだ。
学校教育の基本的な特徴は、子どもたちがいま住む町から旅立つために、何かを教え育てるという役割を担っていること。やがて自分たちから離れていく者のために、自分たちの貴重な資源を投入するという不思議なことを担っているのが、学校である。「ふるさと」に住むための学校は、成り立ちにくいのだ。
その意味で「ふるさと」は、自分が育まれ、広い世界に出て行く基盤を与えてくれるもので、「心」の拠り所としてこそ意味を持つのだろう。つまり、そこにいては感じにくいもの、それが「ふるさと」ではないだろうか。
愛唱される「ふるさと」もちょうどそんな心情を語っているように思う。「忘れがたき ふるさと」「思い出ずる ふるさと」「いつの日にか 帰らん」、いずれも今そこにいないからこそわき上がる気持ちなのだろうと。