ある学校の開校式、大勢が出席して盛大に行われた。めでたい。
その一方で、どうも「引いてモノを見る」悪癖が観察者にはあり、「なるほど~、これが学校の物語を形づくってんねんなあ」とも感じさせられたのだ。
まず、開校という事実が大事(おおごと)であることが演出される。関係者が多く集い、美辞麗句を並べる。カメラのフラッシュがあちこちからたかれ写真や動画に収める。この時間が記憶に値するものと、メッセージが発せられる。
儀式は厳粛な雰囲気で進められる。多くがスーツ姿、深刻な顔をした話者、くり返される礼と拍手、笑いを促すような言動は厳に戒められる。この場は高く整序づけられる。
学校の正統性が強調される。学校の歴史の長さが伝統と述べられ、「諸先輩の努力に恥じない」未来を築く意思が表明される。採択された学校名の応募者が表彰される。さいごに、演奏とともに校歌を斉唱して会を終える。音楽を通じても記憶が強化される。
学校の建物は目に見える、しかし、学校教育を直接に見ることは難しい。それを存続させるには、周りの人間があたかもそのように振る舞う必要がある。この意味で学校についても、「裸の王様」の喩えは可能である。
人々は王様がどんな格好をしているのか、①気づいてはいないのか、②あるいは、気づいていても言わないのか、③それとも、何となくは気づいているが気づくことを恐れているのか、は別にしても。