1955年から10年に一度行われている、日本の社会学者による「社会階層に関する調査(SSM調査 The national survey of Social Stratification and social Mobility)」。
1995年調査まで職業威信に関する項目が含まれ、その職業をどう思うかに、「もっとも高い」を100、「やや高い」を75,「ふつう」を50,「やや低い」を25,「最も低い」を0、に換算して、回答者の平均を示したスコアが報告されている。
たとえば1995年調査、32の職業について尋ねているが、そのいくつかを挙げると次のようだ。
医師 90
大学教授 84
小学校の教諭 64
寺の住職 60
警官 58
市役所の課長 57
漁業者(漁師)47
大工 42
ここで思い出すのが、「学力世界一」と喧伝されるフィンランドのこと。同国の高校生2000人に尋ねた調査では、「将来なりたい職業」の1位は教師、2位は同率で心理学者、芸術家、音楽家、以下、建築家、医師、看護師と続くとのこと(読売新聞、2005.3.29)。「資源がなく、人口が少ないわが国は、国民の知的水準を上げることが不可欠。教師が重要な仕事であるという認識は自然と生まれた」と、ヘルシンキ大学教員養成担当学科長は語ったという(同上)。
日本の初等・中等学校教員の職業威信をどう見るか。もし、「フィンランドほど高くはないかな」と思うのであれば、それは学校教育以外の分野で「国」が支えられているということになる。
たとえば、同質性の高い人的構成(単一言語と文脈でコミュニケーションが可能)、企業内教育(一方での専門家養成と、他方での総合職育成)など、「国家的成長」の背景を考えることもできるだろう。つまり、日本ではフィンランドほど、しゃかりきになって学校教育に期待しなくてもよいのだ、と。
なのに、この「教育問題」騒ぎのにぎやかさ。「日本の成功」に初等・中等の学校教育がどれほど寄与したのか、またその内実は何か、今こそ丁寧に考えるべきだろう。