民放「がっちりマンディ」は江崎グリコ。地上波初登場という社長を迎えて、楽しく見た。
会社の創意・工夫に感心することが多々あったが、なかでも興味深かったのは、お菓子のポッキーの製造過程。25メートルもの長さの枝状の生地をゆっくりと焼き上げたら、あとはラインが終わる段階で、予め付けてあった切り目にしたがい自らの重みで折れて、適当な長さになるのだという。
先に切っておくと、焼かれる際に縮んでしまうのだそうだが、こんなふうに、①働きかける対象の特性にしたがって、②これに対応可能な器具を開発し、ものづくりを進めているということを知ると、学校教育とは何と乱暴なことをせざるをえないのかと改めて思わされる。
①「子ども理解」や「学級の現状」と言いながら、児童・生徒はそれぞれ多様で、一人に限っても、気分・感情などによって不安定だから、適切に観察、測定することは不可能に近い。子どもや教員はまさに生き物なので、短い時間で変化し、ちょっとした先のことですら予想することが困難である。
②このため、どう対応するかがその場次第、つまり即興的、瞬発的で状況依存的である。予め決めておいたり、さらにはそれに従って動くなど「絵に描いた餅」になってしまう。よって、適切な道具や機器を事前に用意することもできず、いきおい「嫌でもやらせる」ことにならざるを得ない。
教育や授業の技術という場合、こうした特徴を前提にしなければならない、ならば、ドラえもんのポケットのように教員の中に完成されたものが保持されていたり、身につけていたりするというよりも、事態に応じられる臨機応変さ、状況を相対化できる能力が問われる。
「自分を変える」力を生涯にわたって育てることができるかどうか、「良い教員」はそうした学習能力に支えられるのだろう。