NHK朝のニュースに、新鋭の指揮者、垣内悠希さんが登場。指揮の技術よりも「こうしたい」というものがあれば何とかなるのではないかと思っていた時期、大先輩にあたる小澤征爾さんから言われたという。
「指揮には極端なことをいうと技術はいらない。だけど、あったらいざというときに本当に助かるんだよ」と。
これを聴いた垣内さんは、こんなにも高いところにいる人がこういうからには、技術を身につけなければと変わったそうだ。
こうした話に接するにつけて、伝え手がどのように言うかということよりも、聴き手がどのように受け止めるかが、学習にとって決定的なことを感じさせられる。この例でも、聴き手が違っていたら、「そうか、じゃあ技術がなくても何とかなるかな」と受け止めることも十分にありそうだから。
ときに伝え手の期待以上のことを学んでくれる良い聴き手は、いかに育てられるのか、それともそれは育つのを待つしかないのか。
教育ということばを、「教え-育む」と読むのか、それとも「教え-育つ」と読むのか。「子どものために」が口癖な教員にこそ、大いに悩んでほしいと思う。