9日前に起こった、京都の祇園近く、縄手通沿いの自動車暴走事故の現場を訪れた。
7人と加害者が亡くなった現場近くの電信柱、数本には、花束が多数手向けられ、想う人が多いことを感じさせられた。
加害者の車がさいごに停まった電柱にも数本の花束が置かれていたが、傷ついた柱から当時の様子を想像しようとしてみた。
現場となった交差点を行き交う人たちは、事故のことを知ってか知らずしてか、普段と変わりないように見える。温かな春の週末、楽しげに散策している。人力車に乗る女性も遅咲きの桜にカメラを向け、楽しそうだった。
あの惨事からわずか2週間も経たないのに、町ではそのことがまるで起こらなかったかのように、時間が流れているようだ。商店の賑わいも、川面の流れも、草花の咲き具合も。
あまりに突然に過ぎ去ってしまった方々には、あったく理不尽なことだが、あれから時はまた新しく時間を刻んでいる。あの一瞬といまの一瞬が別世界かのように。