「嘘つきは泥棒のはじまり」という見方から、学校では「ウソをついてはいけない」と子どもたちに教える。これが高じると、「嘘つきは人間として恥ずかしいことなんやで」とまで言いかねない。
ただし、これは一つの側面に過ぎず、「ウソも方便」のほか、「お世辞」や「励まし」あるいは「自分を守る」ために、程度の差はあれ、ウソが消極的・積極的に奨励されることもまた、衆目の一致するところだろう。
ここで「学校ならでは」と、いつもながら教員に意地悪な立場から想像してみると、学校にとって望ましくないウソは、学校管理上のそれが多いのでは。たとえば、「宿題の本読み練習、ちゃんとした?」「掃除、真面目にやった?」「誰かをいじめた?」の返事に、ウソはいけない。
しかし、「わたし、ぶさいくとちゃう?」-「そんなこと、あらへんで」、「買い物してきてって、預かったお金、落としてしもた。怒られるわ」-「そんなん、ちゃんと話したら大丈夫や」、「宿題やってへんねん、みして」-「ぼくも、してへんねん」、「昨日のテレビみた?」-「見ようと思ってんけど、弟にチャンネルとられてん」といった、子どもの友人関係では、むしろウソが「和」を保つ上では好ましい、とすら思われているのではないかな。少なくとも実際、子どもはこうしたことを、教えられなくても学ぶのだけれど。
小学校・中学校での子どものウソについて、学校におられる方、エピソードを教えてもらえると有り難いです。