1995年に、「山梨県における教員需要の将来展望-1996~2016年度」(『山梨大学教育学部研究報告』第46号に所収)という論文を書いた。教員採用が激減しつつあり、教育学部の再編問題が浮上する少し前の研究である。年齢層別の教員数と予想される離職数をもとに、採用規模ごとに教員需要がどのように推移するかを推計したものだ。
そこでは、教職員定数の改善や教員加配がどのようになるかによって、2年程度のズレは生まれるが、当時の著しく少ない教員採用数は、2000年代後半になると回復しはじめることを述べたもので、大げさには「清水の舞台から飛び降りる」くらいの気持ちだった。だって、外れたらカッコ悪いこと、この上ないから。
あれから17年、推計はおおよそ当たったと判断できる。P.ドラッカーの言でもあるが、人口とは唯一、将来を予測する上で有力な変数であることが示されたとも言えるだろう。
ただし残念なのは、こんな研究がかつて行われていたことが、今はまあ知られていないことだ。全国版でも、日本教育大学協会教員需給等検討特別委員会が、『教員需要と教育系大学・学部のあり方』1995、と推計を行い、同様の結果を示していたことも、今やほとんど知る人がいないことである。
つまり、将来を予測しようとする研究は、その「将来」になったらまず顧みられることはなく、どこかに埋もれたままで、「あの時の予想はだいたい当たったよね」なんて言ってもらえることを期待しようもない、ということ。それでもいいやん、とも言えるけれど、寂しさも否めない。
再現性を見込めない、人間や社会に関する「将来に役に立つ研究」ってどんなんやろうね。