NHKクローズアップ現代は、「やめさせてくれない 急増、退職トラブル」。
長時間労働などから社員が辞めたいと行っても認めず、失業手当を受けるために必要な離職票も出してくれない会社。ひどい例では、無理矢理に辞めていった社員に対して、営業成績が振るわず、会社に損害を与えたという理由で、会社が訴えを起こしたものまであるという。幸いにも、裁判所に却下されたが。
もともとは、再編といった意味の「リストラ」が、もっぱら「辞めさせる」を指すとき、社員はどのように「辞めません」と言い続けるかが問題になる。「窓際」にやられても、草むしりをさせられても、いかに辞めないかが、労働者を守るべく議論されたこともあるのに(もちろん、今でもあることだろう)。
今度はそれと正反対、いかに辞めるかが問題とされるようになるなんて。当事者には、それどころではないから(どっちでもいいことだから)失礼な話だが、傍目には、かくも会社と社員の関係が大きく変わるということを示す好例だと思う。
たとえば、学校と教職員、とくに教員との関係は、これからどうなるのだろう。悪労働条件に耐えられなくなった教員が学校を辞めようとするのを、ほかに引き受け手がないからと教育委員会が執拗に引き留めるなどということが起こるのだろうか。
こんな、とりあえず今のところは夢想をしてみると、教職の「高度化」や「スタンダード」の議論が、けっこう脆い基盤の上にあることに気づける。教員給与が下がり、労働条件が悪化し、社会的逸脱が増加し、職業威信が落ちる中、どれほどの優秀な人材が教職に就こうとするだろうか。
「かっこいい教職」「すごいと思ってもらえる教職」を目指そう、そのためにはどんな働き方をしたら良いかを考えよう、と私が言うのはこうした所以である。