亀岡で起こった自動車暴走事故。被害者の連絡先などが、被害児童の通う小学校教頭から漏らされていたことが問題になっている。
かつて担任した児童の保護者が、加害少年の父親の親戚にあたるとのことで、「『父親が、誠意を示すため松村さんの葬儀への参列を希望し、日程や場所を知りたがっている』と聞き、日程と携帯電話番号を伝えた」(毎日新聞)、のだという。
ううん。わからんでもないなあ。だって、教員って優しい人が多いもん。もし、この報道の通りやったら、まだ頼まれてもいいひんのに、「教えてあげよ」って考えてしまいがちなんやなあ。「おせっかい焼き」やから。
もうひとつ、加害少年の親戚の男性の言。「何もしなければ、どういうつもりだ、と思われるだろうと、いても立ってもいられなかった」、これもよくわかる。ただし、被害者側がそれを了とすればの話だけれど、あくまでも。
無理矢理に学校の話に持って行けば、おせっかいはどんなときに、どこまで焼けばよいのか、また、受け止める相手次第という難しいことをいかに扱うか。
今回のことに限らず、学校は日常的にこうした事柄に溢れている。慌ただしい中、的確な判断ができるとも限らない。だから、「ミスを根絶」ではなく、「ミスは起こりうる。だから、次善の策の用意を」とフェールセーフの考え方を強めることが大切なように思う。