「ぼくは美術やから、感性でモノをいうんやけど」と、ある中学校校長。校長室で話をしていたときのことだ。
そうならば、どのように児童・生徒をとらえ、判断し、彼らにいかに働きかけるのか、その「正しさ」や「妥当性」、そして「結果」や「効果」はどのようなものと理解したらいいのだろうか。是非うかがいたい。
ひょっとしたら、美術、音楽などの芸術系の教科に限らず、ほかでも、教員が子どもや教室の状況を判断する根拠は、「なんとなく」つまり、感性ではないだろうか。
だって、状況がどうなっているのかを計測するには、変化のスピードが速すぎるし、そもそも、そんな計測器は存在しない。教員は自分の目、口、耳、鼻、皮膚で感じ取るしかない(舌もあるけれど、これは出番がないし…)、それは主観的で、直感的で、瞬間的なものだろう。
かたや、客観的で、正確な学校評価、教員評価、教育評価という人もいるけれど、「できないことはできない」「ムリなものはムリ」という、ある意味で当たり前のことがら議論を組み立てることが大切だ。
そうでなければ、いつまでたっても、「ちゃんとできないのは、意識改革が進んでいないから」、「教員の力量や努力が足りないから」と偉そうに言う「研究者」に騙され続けることになる。「~すべき」という論理に惑わされてはいけない、と改めて感じる。