東京ディズニーランドを目指し、関越道で死傷事故を起こした夜行バス。チケットを手配した楽天トラベルから、被害者宛に「ご乗車はいかがでしたか」とメールが届いたという。
被害者家族からすれば、あまりに無神経な話だが、会社からすれば「自動発信されるようになっているので…」と噛み合わない。
「まさかそんなことが」と思われるような自動車事故ですら、稀には起こり、関係者を傷つける。先々どうなるかわからないのに、予め準備をしすぎたためだ。
だから、そもそもどんな風になるかわからない学校教育において、事前につもりすることが、いかに危険かを教職員や教育委員会のメンバーは心すべきだろう。なのに、「PDCA(Plan-Do-Check-Action)を回すことが大切」と、学校教育が自分たちでちゃんと掌握できるかのような議論を、「研究者」はしようとする。
児童・生徒という学校には不可欠だけれど、学校教育が望む方向に進んでくれるわけでは必ずしもないメンバーを抱える学校が、計画を立て、それに即して実践し、点検・修正して、次の段階に進むというモデルは、もともとムリな話なのだ。
Planは現状分析と評価が主眼と話し、「計画をきっちり、しっかり」、とは言わなかったものの、PDCAの講義をした自分の反省を込めて、改めて確認したい。「人間相手の仕事は、その場にならないとわからないことがたくさんあるから、想定できない段階での準備は目安の域をまったく出ない。だから、詳細な事前のつもりやそれに従った戦略などという発想は、柔軟な対応を困難にする点で、却って危険ですらある」と。