ある共同研究に参加しているが、そこでなされた調査報告を、とても興味深く聴いた。
観光地で大変有名な地域の義務教育学校なのだが、保護者は子どもの成績を上げることをさほど求めてはいないと教員から聞くというのだ。
多少の解釈が入るが、学校ではいわば適当に、決して進学校などには行かずに、地元でみやげ物屋の跡継ぎにでもなってくれれば構わないという雰囲気が伝わってくるらしい。なるほど、こうした状況では、地元から離れかねない学校的な「学力」は、敬遠されるのだなあ。
こんな学校もあると思えば、「学力向上」に血道を上げる学校を応援する地域もあることだろう。これが、いずれも「学校は…」と語られるのだから、学校教育の議論に際しては、相当の交通整理が必要だ。これをしないから、みんな自分の持っているイメージの学校を語り出し、収拾がつかなくなる。
それにしても、学校での「学力」って、誰のための、どんな意味があるもんなんやろね。「子どものため」とはすぐに答えられへん辺りがミソなんやろうけれど。