「いいクルマ」トヨタの挑戦(2012.5.6. 朝日新聞)を読んだ。
この3年来のトヨタが、数値目標から価値目標に転換したと述べるものだったが、興味深い論評と思ったのは、「『いい』という主観的な目標は、多元的な手段や考え方を現場に生み出すかもしれない。それが変化に対応する柔構造を会社にもたらす」という部分だ。
昨今の公共部門にあっては、主観的な目標は全員が一致できない曖昧なものだからダメである。目標は客観的に、誰が見てもわかるようなものでなければならない、と財務当局あたりは言うのだろうが、それは反転させたものとしても理解されるべきだろう。
すなわち、解釈の幅がある主観的なものだからこそ、それぞれの創意工夫や発想の革新が可能であり、それは時代の風に応じて新たなものを作り出す上で不可欠でもある。このことに気づかず、「見える化」(「可視化」)や「言語化」を強調することは、ある意味で平凡で陳腐なものであり、前年踏襲をくり返すに留まるだろう。
学校教育の状況はまさにこのとおりと考えるが、いかが思われるだろうか。