このごろ、私の「教員への辛口」が過ぎるように感じる。
授業研究について、蓄積が困難な授業を研究するとはどういうことなんでしょう、と噛みつく。
学校予算や県の予算、学校の物品の値段を知らないことに、「地域を知ろう」って子どもに言ってますよね、と皮肉る。
学校における子どもの位置に関して、「子どものため」って振りかざすのは、「片思い」を超えて、「ストーカー」的ではないかと、食ってかかる。
教員の実践や教育課題について、「正しい」ことなら合理的だから、やがてその方向に進むだろうに、いつまでもたとえば人権教育と言われるのは、人間理解の上でどこかに「無理」があるからではないの、とくさす。
嫌な奴やなあって思われるのが本望やから、ええんやけれど、そんなことあらへん、何ゆうてんのって、反論がききたい。でも、ちょっと暴走気味? 誰か止めて。