学部1回生向けの授業で、現職教員を迎え、小・中学校の学級づくりと生徒指導についてお話をいただく。いずれも経験豊かな先生で、エピソードに事欠かず、わたしも楽しく聴かせてもらった。
授業中の様子や感想文から学生に好評だったことがわかり、学校の具体も知るというこの授業の目的が、彼らの興味・関心に即していたのは良かった。その上で、ふたつ、学生につもりしてほしいこともある。
その一、具体的な出来事を知れば知るほどに、「どのようにすれば上手くできるか」の答えにはたどり着かないことを確かめてほしい。うかがう話はあくまでも一例であり、そうしなければならない、というものでもない反面、こうすればよい、を教えてくれるものでもない。色々なご経験から、この辺りがポイントではないだろうかと、提案くださるものだ。これが正解という訳では必ずしもない。いずれも、長い教職生活を通じてそれぞれの先生なりに悩み、培われたものだからだ。教育実践に「賭ける」とは、勝てるとは限らず、負けることも往々を意味する。「にもかかわらず」臨もうとする姿勢から何を学ぶかが問われるだろう。
その二、すでに具体と抽象の思考の往復運動と話しているように、具体的であることは抽象的であることを排除するものでなく、具体的にそして抽象的に思考できる能力が大切になるから、具体例を聞いて、わかったつもりにならないこと、また、それを抽象化するという作業の労苦を厭わず、思考の幅を広げる訓練を積んでほしい。「わかりやすい」話は、これまでの自分の認識枠に近いためであり、それは別の発想を抑制するものでもある。多様な発想のできる主体でなければ、臨機応変にまた即興的な教育上の関わりに耐えることは難しい。「わかりにくい」話と向き合うことを通じて、自分の思考体力を養なうことが、長いだろう教職生活に備える基礎トレーニングだ。
とはいえ、ついこの間まで高校生だった君たち、大学に合格したらすぐに入学しなければならない、という今の仕組みは結構厳しいものがあるよね。土曜日というのに授業、お疲れさま。