お金のことだけではない。目標を達成するために要する、時間、労力といった資源をどれだけ用意できるか、そのつもりがあるか、から、目標の実現可能性を考える。
いたって論理的と思われるのだけれど、なぜか学校ではめったと採用されない。「コミュニケーション能力の高い子」を実現するのに、どれほどの資源が要るのか、確保できるのかについて、ほとんど思慮されず、「教師の指導力」や「創意工夫」で達成できるかのように議論されるのだ。
もちろん、指導力や工夫もタダではない。教員に支払われる給与の適切さと関わっている。優先順位の高いほうから仕事に臨んでもらわなければ。紙と鉛筆から光熱水道代、バス代、講師謝金まで経費以外にも、実に多くの資源が投じられている。
こうした論理を含めないで「教育の論理」と言うだけでは、目標の実現はおぼつかない。資源の状況から、できそうなこと、難しそうなことを区別するのが第一歩だ。これなき議論や合意形成って、本当に目標を実現しようと思っているのん?