学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

剽窃問題と学校教育研究

またも、論文の捏造が発覚した、

東邦大学医学部の元准教授(52)が、国内外の専門誌に発表した193本の論文に捏造の疑いがあることがわかった。元准教授が会員である日本麻酔科学会は調査特別委員会を設置、調査を進めている。これほど多数の論文について不正が疑われるのは極めて異例(2012年5月23日 読売新聞)という。

これが学問的な掟破りであること、社会的にも指弾されるべきことは論を待たないが、その上で、得られたデータの操作や、存在しなかったデータ捏造の行われることがあり、先々に発覚して問題、調査の行われる世界を、「ええなあ」とも思う。

ひるがえって、学校教育の「論文」と言われる世界は、こんな感じだ。

1.「新しい学習指導要領では、この点が眼目のひとつである」「中教審では、この辺りが強調されている」…これらは、ほとんどが活字になっているので、「首相が誰かと会った」というニュースとは違ってまず間違うことがなく、聞いて、読んで「そうやね」で終わるもの。これ自体が正しいことなのか、そうではないのかという議論の俎上に載るものではない。いわゆる官僚的な文言である。

2.「校内研修は、学校の課題に即して主題が立てられるべきである」、「管理職として、人材育成につながるリーダーシップが求められる」…これらは「べき論」と言われるもので、立場や趣味によっていろいろな意見が出るだけのもの。その多くは現在そうではないという理解のもとに、かくあるべきと主張や願望が示されるに過ぎず、これ自体を議論できない。「そう思てはるんですか」でおしまいである。

3.「学校運営協議会という仕組みが作られることにより、学校に対する監視機能が強まる」「成熟社会では、学校の自律性がいっそう問われる」…近未来予言のようなものであり、しかるべき時間が過ぎないと何ともいえないもの。現時点では確かめようがなく、たとえば10年後に「そうはならへんかったやん」と言えるが、そのとき当時の発言者は、おそらく黙りを決めるだけである。

議論すべきデータが存在するかどうかという点で見れば、
1では存在するが、それは始めから一回性(一度きり)のものであることを述べているから、データはあるけれど、分析したり予測するために扱うことができない。
2では、データが存在しないから、問題外である。「好きにゆうて」。
3では、予言者の言葉であり謎めいてはいるが、いまはデータがなく、どうしようもない。

これらいずれも、①いま存在するデータを、②ある方法で収拾し、③並び替え(分析し)、④ある傾向や特徴を見出す、⑤もって、先々の出来事を予測、さらにはそれに基づき操作しようとする、というルールの研究には、当てはまらない。つまり、自然科学を中心にした分野で定義される研究とは言えない。

だから、データの捏造云々については、1は捏造ではないけれど、議論できない点ではデータと言えない。2と3は捏造ではなく、主張や予言なので、「こんなデータは存在しない」「いや、こうして得られている」と議論できない。つまり、捏造疑惑そのものが起こらない。1~3のスタイルで、似たようなことが起こるとすれば、既に発表されているものを剽窃することくらいだろう。

じゃあ、どんな研究が学校教育あるいは教育の分野でできるの、って話は次にしたい。まずは、少なくない(多くの?)「学校研究」は、ちょっと怪しげってこと、を確認してもらえればと思う。
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by walk41 | 2012-05-24 09:10 | 研究のこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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