鈴木庸裕編『「ふくしま」の子どもたちとともに歩む スクールソーシャルワーカー』(ミネルヴァ書房、2012)を読み始めた。
その18ページに、ある少女のエピソードが記されている。避難所で小さな弟を抱く彼女の姿は反響を呼んだとのことだが、その親は憂さ晴らしのためにパチンコに出かけていたことを、周りの人間も、彼女じしんも知っていたということ、それが注目を浴びたことで、彼女の重荷に先々ならないだろうか、「支援を含め、人に働きかけることの持つ加害性は肝に銘じたい」と。
学校や教員という視点では気づきにくいんやなあ、人と関わりを持とうとすることが、害を加えることにもなりかねないということを。
相手を困らせようとしたり、ましてや傷付けたりしようなんてこと、みじんも考えてないからこそ、教育という仕事に就く人にわかってもらうのはやっかいだ。だって、自分は「ええことをしてる」と思いがちなのだから。
とことん悩ましい。教育-学習という関係において、相手の需要・必要(needs)をいかに待てば、あるいは捉えれば良いのか、また教育活動はそれとは別のことなのか否か。