特に小学校の教員といったら、限定しすぎだろうか。
「基礎基本」を扱わなければならないためだろう、ある状態を即、価値化する傾向が著しいように思う。
例えば、丁寧なのは良いこと、だから丁寧なノートを取らせる指導を。クラスの団結は大事、だから何でも言いあえる学級づくりを。挨拶するのは素晴らしいこと、だから挨拶運動を。
ところが、物事には反対の面もあるから、そのことを看過するとバランスを欠いてしまう。乱雑でも数をこなすことが大切、団結は個人を抑圧する、挨拶は相手を見てどうするかがポイント、といったことを忘れてしまう。
この結果、あとで授業を振り返る一つの手段である、丁寧なノートの指導が目的になり、さらには、
そのように「させる」ことに躍起になる。こうした構図で説明ができるのでは、ないだるうか。
逆からも考えてみること、もっていろいろな指導や関わりのあり得ることに気づけること、それが、より幅のある豊かな(痩せ細っていない) 実践を導くのである。