指導主事お二人と昼食をご一緒した。
話しながらふと気づくと、二人ともすでに食べ終えられている。早いですね、と振ると、いやあ、いつもこんな感じで。(私と一緒なので)ゆっくりと食べたつもりなんですが、と答えられた。ひやあ、もっと早いのかあ。
食べるのが早いとは教員の特技かもしれない。だって、そのあと、クラスの子どもたちの様子を、時にちょっとした仕事をしながら、目をきょろきょろして、耳をダンボにして、一所懸命にアンテナを張っているのだから。
うちお一人は、昨年お会いした際に、「生徒は匂いで教員を嗅ぎ分ける」と言われた方だが、今回も楽しく話ができた。言葉にならないけれど、子どもをつかまえようとする際、感じると言う方が、教師の子ども理解、あるいは子どもの教師理解においては、正確なのかもしれない。
共通理解のはかる上で(一致団結した指導のために)、言語化を、見える化を、測る化をとも言われるけれど、おそらくそうした試みは失敗に終わる。言葉や客観的な表現に変換しようとすると、どうも自分がつかまえたこととズレてしまうのだ。
「言葉にすれば嘘になる」、どこかの歌謡曲にあったように思うのだけれど、学校という世界もこのことが言えるのではないだろうか。