飲酒運転をして事故を起こした熊本県山鹿市の小学校教諭(50)が、懲戒免職になった。
このケースで興味深いのは、教諭の勤務していた小学校では、市教育委員会の指導を受けて、飲酒運転やセクハラをしないこと、あるいは金銭管理を適切に行うなどを明記した書面を作成、事件前日の6月8日、同教諭を含む全教職員が押印したばかりだったという(読売、2012.6.12)ことだ。
ここから学べるのは、ひとつに書類にはんこを押したからといって、飲酒運転をなくすことにはつながらず、服務監督者の「説明責任」上の材料にされるのがせいぜいだろうということ、そしてもうひとつは、「飲酒運転をなくすためにどうしたらよいか」という問いに対して、児童を教育し「望ましい」方向に導こうとする学校で考えられたのが「はんこを押させる」というアイディア(仮説)に留まり、その有効性が明らかにならなかった(仮説が棄却された)ということである。つまり、これは採用すべきツールとは見なせない(こんなことをやっても仕方がない)。
後者については、(いつもながら)学校に意地悪な言い方になるけれど、日々の学校教育実践においても斬新なアイディアと試みが乏しく、いわばルーチンで職務を遂行している可能性が考えられる。
教職員が自らを操作、方向づけできないのに、どうして他者である児童・生徒に自分たちの考えるように影響を及ぼすことができるだろうか。今回の事案は、小学校の研究能力の一端を図らずも示すことになったように思う。