ちょうど昨日、校長先生が来室されて、「管理用務員さんが2人から1人体制に代わり、教頭先生がジャージをはく時間が増えました」と話をしていたところだ。
校務員、技能員などいろいろな名称があるけれど、学校のいわば縁の下の力持ちを担ってくれている用務員さん。学部生向きの授業で、映像作品「こちら用務員室-教育現場の忘れ物」(静岡放送、2002年)の一部を見せた。以下、学生たちの感想。
「用務員さんのイメージが変わりました。…先生には言えないことも、用務員さんには仲のいいおじさん的な感覚で話せると思う」、「先生は嫌いという生徒も多いのに、どうして用務員さんは好かれるのだろうか。あまり怒ったりしないからか、宿題を出したりしないからか…」、「教師と生徒という立場ではなく、第三者として生徒と接することができ存在は、生徒への理解を深めるためにも必要不可欠と感じました」
「用務員の佐々木さんが『息子に父が用務員だということでかわいそうな気分にさせてしまっているかもしれない』と話していたが、そんなことはないと…。今考えると、用務員さんがいるおかげで色々な面で学校生活が支えられていると思う」、「教員以外の人たちのことを、教員は何を思っているのだろうか。用務員さんや給食のおばさんたちに優越感を抱いていないか、反対に劣等感を抱いてはいないか」
「『用務員は専門課程を通っていないから、胸を張れる仕事ではない』と話していたのが印象的だった」、「離任式のことを思い出しました。花束であふれた担任の先生の華やかな花道のうしろを、逃げるように用務員さんや給食調理員さんが通っていきました。子ども心に、切なさでいっぱいになりました」
古くは、芝田進午編『教育をになう人びと 学校教職員と現代民主主義』(青木書店、1980年)以来、教員以外に注目をした学校研究も少なくはない。が、今なおおおよその意識は「学校の先生」だろう。学校で「先生」とは必ずしも呼ばれない人、そうした人々を含めて学校が支えられていること、そして多くは公共事業として営まれていることを、改めて確認したい。