多くの教師、とくに中学校の教師が語る。
さんざんにヤンチャだった生徒、ほんまに世話をかけさせられ通しだった。どれだけ「この野郎」と思わされたか。いったい何度、家庭訪問したか、何回、胸ぐらを掴みかかられたか…。
でも、卒業式の日に、一言だけ「先生、ありがとう」。この言葉だけで、「まだ教師を続けられる」って思わされるんやなあ。自分で馬鹿やなってわかってるんですけどね。
教師のみなさんは、きっと同意くださることだろう。そう、かくも資源の投入(input)に対する産出(output,outcome)の釣り合いがとれない業界は、まあ珍しい。
だから、この世界にどれだけお金を投じたから、どれほど結果が良くなったとか、さらには少人数指導をしたら、どれだけ学力が向上するはずだとかいった話を、まことしやかにされても、おそらく現実を説明することは難しい。教育活動は、相手による学習というプロセスを経なければならないという「定め」「掟」があるので、そこまでを入力側で制御、操作できないのだ。つまり、相手にゆだねられざるを得ない。
そうした営みについて、PDCAやCP(費用対効果)と叫んでも、本当のところはどうしようもない。もちろん、対財務部局への説明については別。「こうした効果が期待できる」とまでは言わざるをえない。でも、本当にそうやったんかどうかの実証は、ほとんどできないからね。「~したら、~になった」ってことを、大まじめに書いているものがあったとすれば、それは極楽とんぼか、確信的詐欺やから。
「そこを何とかするのが、専門家ってものでしょう」なんて無茶を言ってはいけない。やれるもんならあなたがやって見せればいい。無理なものは無理。無理難題(「モンスター」)を寄せてはいけない。
そんなことより、教職員がより健康的に、つまり、分析的、批判的に働けるような、研修を含めた勤務環境が整うように、彼らに気づかせ、議論させなければ。それが学校管理職の第一の仕事だと思うのだけれど。