学校と地域との連携が叫ばれる中、子どもの登下校中の安全を確保するべく、地域住民などによる「見守り隊」が置かれるケースが少なくない。
そのごくごく一部の不届き者の話なのだろうけれど、「見守り隊」の68歳男逮捕 女児2人にわいせつ容疑と報じられた。地元自治会で「児童生徒見守り隊」のボランティアをしている広島県下の男が、帰宅中の小学校高学年の女子児童2人に「チョコをあげる」と言って、自宅に誘い込み、体を触るなどした疑い、という(47NEWS、20120710)。
同様の事件は、見守り隊の活動で知り合った女児の体を触るなどしたとして、強制わいせつ罪で、72歳の男が起訴(2010年7月)と京都府下でも起こっており、市教委は「子どもの安心・安全のため活動する人がこのような事件を起こし、遺憾としか言いようがない」とコメントしたが、まったくその通りだろう。
学校が、教職員だけでは人手が足りないほどの活動量が求められる中、協力的な人が必ずしも学校に有益とはならない点が難しい。こんなことがあっては、学校の阻害要因になり、一体何をしているのかわからなくなる。
と同時に、こんなことも考える。子どもの安全を確保することは確かに重要課題だが、大人の中にも「悪い人」がいることを学ぶことは大切なこと、ならば、教職員を含めて、全体として「子どもの利益」を確保する方向で考えるけれど、「トラブルが一切あってはならない」という水準を前提にはできない。そんな発想は、学校のサポーターを減らすことになるのではないか、と。
病原性大腸菌O157の問題が起こったときに、講演に呼ばれたある大学の先生は、「私が子どもの頃は病原菌で何千人と死にましたから…」と話し、以後、呼ばれなくなったという噂話もあるけれど、そこまで言うかどうかは別にしても、要求水準を上げすぎると却って不都合なことも起こる、という逆説にも気づいておくことが必要かと思う。学校外の資源活用のあり方について、いかがお考えになるだろうか。