引き続き、学生のレポートを読んでいる。あと60本くらいかな。慣れない手書きのため、赤ペンを持つ指が少しだるい(^^;)。
授業では学級についての話を時々するが、前期の授業で取り上げた時に、学生たちに示した構図は、このようなものだ。
同じ学級にいる人は、クラスメイトと呼ばれるけれど、クラスメイトってどんな人?
片方の極には、「クラスメイトは友人、そして親友にもなれるような、本音を出し合えるような人」という見方を、もう片方の極には、「クラスメイトは他人、だから何を考えているかわからないのだから、自分の一挙手一頭足に留意して」という見方を置いたら、「望ましい関係」は、この両極の間のどんな感じ、と?
教員志望が多い学生なので、前者のような見方を心地よく感じ、また自分もそんなクラスづくりをしたいと考える者も多いが、それへの疑問、反発を感じる者も少なくない。
いま読んでいるレポートにも、このことに言及した文章があったので、以下に紹介したい。
…授業の中でも特に印象に残ったのが、「何でも言い合えるクラスを目標に?」という問題であった。私自身、はたから見れば俺たち私たち仲良し!がモットーとでもいうようなクラスを経験したことがあるが、その実情は行事のときだけ無理やり仲良しを演じるような気持ちの悪いクラスであったことを覚えている。
本当に何でも言い合えるクラスは良いのか? 気持ち悪いんじゃないか、と先生がおっしゃったとき、とてつもなく痛快であったとともに、あっ、そんな考えの先生がいたっていいんだ、と気づかされもしたのである。
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自分の問いに肯定的な意見だから、お気に入りという訳でもないのだが(そういう訳なのだろうか(^^;))、興味深い経験と指摘と読んだ。
とくに小学校の先生方、いかがでしょう。「何でも言い合えるクラスづくり」に尽力されてもいるだろうけれど、元児童生徒の中には、こんな風に受け止めている例もあるということを、ぜひ知ってほしいな。