「いじめ」を始め、生徒の問題行動にいっそう注意を払うべきと、教育委員会や首長からも声があがっているが、ちょっと待ってほしい。
学校が監獄ならばそれでいいけれど、学校は疑似社会ではあっても、「生活」の基本を経験させることに意味がある。だから、生徒をバラバラにしたままで、ことごとく教員の管理、指導下に置こうとするのは、まず理念的にそぐわないし、また、実際的でもない。
生徒の間で起こる問題を、なるべく彼らの手で改善、解決できるように「生きる力」を身に付けられる「質の高い」授業が求められているし、生徒会活動など教員が直接的には関わらない活動が奨励、促されるべきだろう。
生徒と教員の住む世界は違うのだから、彼らに委ねる方が解決に向かいやすい場合もある。問題は、労働が基本的に存在しない「無理のある」学校で、いかに生徒を「お客」に留めおかず、主体的であるように「仕掛け」をするかである。
かつて盛んに議論された、生徒の「自治」のありかた。こんな話はどこかに消えてしまったのだろうか。そうした生徒を育てたいと考える教員たちとともに。