子どもを学校外で教えている家人が嘆いている。
「夏休みなのに、朝9時から夕方6時までって部活が入っていて、こちらの時間が取れない」というのだ。
中学生に聞くとどうも、先に時間が決められて、何をするかは後から決まる様子。家人は、「顧問がずっとつきっきりという訳でもなく、生徒間だけでダラダラやってる」と、なかなか手厳しい。
そこで二人して「そうなのか」と合点したのだが、そもそも、「何をする」⇒「どれくらい時間がかかる」というのではなく、「まず時間を確保する」⇒「その時間をどう遣うかを考える」という発想で活動しているのでは。だから、時間を先に「とった」方が優先とされ、後になった方は残された時間での調整に苦労させられる。
部活動はいうまでもなく、教育課程外活動であり、学校のカリキュラムに含まれない。このため、学校の目標を実現するための活動には位置づけられず、いきおい顧問や高校などでは監督の思うように進められがちである。このことが、体罰やハラスメントの温床ともなっている。
こうした曖昧さの問題はここでは脇におこう。ただし、最低必要な時間という意味での「終わり」あるいは「デッドライン」を決めずに物事に取り組むというスタンスが、こんな学校生活を通じて培われるのかもしれない点は重要だろう。
会社あるいは学校でも、何となくのダラダラ残業、定時に帰ることに気後れするような職場、「何時に帰るためには、何をどこまで、いかにやるか」を決めない計画性のなさ、夕方にお菓子を食べるような職場、これは子どもの頃からの、学校での時間の過ごし方が色濃く投影されているのかも。
意外な学校の教育成果、ここにも「隠されたカリキュラム」があるように思う。