毎日新聞(2012年8月10日)の社説は、「学力テスト 調査のための調査では」と題する。
またウチの県は何位だ、前回から上がった下がったと大騒ぎ。飽きもしないでよくもまあ、というのが私の感想。
こうした方法で測定される学力が高いと、具体的にどんな御利益があるのか、あるいは低いとどんな問題が起こりやすいのか。たとえば、実生活にいかに反映されているのか、あるいは実生活に反映されなくとも、どんな指標からうかがえるのか、といった話にさっぱり進まず。学力テストというゲームに一喜一憂しているだけに見える。
たとえば、秋田県や富山県、順位が高いことで、どんな豊かさがもたらされているのか。(少年)犯罪が少ない、不登校が少ない、いじめが少ない、読書量が多い、幸せと感じている人が多い、これらと相関しているのだろうか。さっぱりわからない。
天の邪鬼な立場から見れば、こうも言える。学力テストで順位が高いのは、「貧しい」ことの証拠、なぜって、①学力が示す個人の能力によってしか将来を確かなものにできず、田畑や金銀財宝、あるいはネットワークなどが不足しているから。②また、「成績に関係ない」と言われているのに懸命に取り組む従順さは、主体性の欠如でもある。③さらに問題は、世の中には「正答」があるはずと、「わからない」ことの方がむしろ多いことを学ばないために、多様な発想や思考のできる人間へと促さないこと。④あるいは、学校はこのための準備やデータの蓄積もしているだろうから、長期的な人間形成を視野に入れた学校づくりよりも、「すぐに役立つ」、つまりすぐに役に立たなくなる、短期的な課題に集中しがちな点でも貧しい。
辛口が過ぎるかもしれないけれど、どうぞご容赦のほどを。