他者にあることを伝達する際、あるいは何かを知る際には、必ずと言ってよいほど、ズレが生じる。つまり、自分が言ったように相手が取るとは限らないし、書いてあるからといってその通りに解釈されるとは必ずしも言えない。それが悩ましいことでもあり、おもしろくもある。「ここではきものをぬいでください」などは、古典に属するだろう。
学校でも同じようなことは起こる。「台風一過」ってどんな家族やろう、と思う子どもは必ず現れるし、これは教えてもらったことだが、「赤い靴、はいてた女の子。異人さんに連れられて」を「いい爺さん」と聴く子もいるという。おもしろい。私の世代ならば、「巨人の星」の「思い込んだら」を「どんな重いコンダラ」だろうと悩んだ子もいたなあ。
この思い違いを意図的にしたのが、替え歌である。「灯りをつけましょ、爆弾に」とか「ドはドクロのド」などと喜んで歌いたがるのは、高度な遊びなのだ。
なのに、「真面目」文化が圧倒的だと、こうした歌は不謹慎だとか、人を傷つけるとか言われて、抑圧される。ましてや、教員がこうした歌を歌うのは「問題教員」にすらなりかねない。
ほどよい遊びを学校の中にも。そうした楽しさ、笑いがあってこそ、子どもたちも生き生きするというものだろうに。