皆さま、お久し振りです。この間、南ドイツの学校と大学を訪問していました。向こうではそろそろコートをという雰囲気ですが、日本に戻るとまだけっこう暑いですね。
さて、今回の学校訪問で強く思ったことのひとつは、保護者(Erziehungsberechtige)の権限の強さです。学校にいつから通わせるか、どの学校に通わせるか、あるいは入学に際しての学校との「契約書」交わしなど、子どもの教育に関する第一責任者として位置付けられていることを感じました。
もちろん、移民の背景を持つ子どもも多いので、学校には言語上の問題ほか、負担も大きいのですが、子どもの教育は保護者の教育権により左右される、と感じた次第です。
このことを強調すれば、「保護者、地域」とひとくくりにされがちな日本の教育権限関係のおおらかさ、あるいはいい加減さは、いかばかりでしょうか。あと知恵になりますが、教育権の主体が「国民」か「国家」かという議論が、いかに幼いものであったか、この点である種の割り切りをしているように見えるのがドイツに思えます・
日本の教育権の主体は、あるいは複数の主体の関係は? このことを問い直す上でも、保護者ではなく、教育権者と呼んでみる思考実験が必要ではないか、そんなことを地球の裏側で考えました。