高校の校長先生たちと、ゆっくり話をする機会を得た。
この県でも生徒数が大きく減少、学校統廃合とともに一つの学校あたりの生徒数も少なくなり、学級数も減っている。
そうすると、当然のことながら配置される教員も少なくなり、受験科目であるにも関わらず、教員がいないといったことも起こるのだという。物理の先生が学校にいないため、この科目で受験を希望する生徒は、何と別の学校の教員に解答した問題を送って、添削してもらうこともあるのだと。
全国的には義務教育を中心に、少人数指導のための教員加配が多く行われ、今や却ってその方略の妥当性が問われてもいるけれど、かたや求められる教科の教員がおらず、勉強に不自由を強いられる高校生もいるのだなあと、現実の多様なことに驚かされる。
人口減少、とくに若い世代の減少が学校に及ぼす衝撃は計り知れない。事業の対象が中学生と限られる中(この点で、ドラッカーのいう「顧客の創造」は難しいのが、学校業界である)、全体として見ればパイの取り合いなのだけれど、その中で、定員を充足すべく地域行事にほぼ出席してアピールするという学校、夜間の学校説明会を行う学校、勉強合宿等に財政補助の申請に努める学校と、生徒集めと彼らの進路保障にさまざまな努力をされている様子に胸を打たれた。
これと同時に、この1世紀以上、人口増だけを経験してきた社会がこれから直面する事態を想像するに、各学校では何ともしようのないことを各学校の努力に委ねる一方で、各学校でできそうなカイゼンを教育委員会の指導で一律にさせる、というちぐはぐさを何とか是正してほしいとも思ったのだ。