学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

説明か説教か

こういう言い方で整理できるかなと思う。

学校教育論は説明なのか、説教なのか。同じように「説」で始まっても後ろに付く字が違うと意味が大きく変わってしまう。

説明であれば、そこに創意工夫や実践が入る余地は少ないし、説教ならば、あなたの頑張りでどうにかなるという話になる。

説明に傾くならば、できることは限られるし、説教に傾斜するならば、どんな状態であっても実践が事態を左右するということになる。

集合型の研修や講演では、説教が圧倒的だ。「求められる事務職員」「期待される校長」など、演者の「言いたい放題」が跋扈する。もっとも「中教審答申によれば」「県の新たな指針に基づけば」とお墨付きを要しはするけれど。その分、演者の責任逃れにも使えるんだけれどね。「私だけがそう言っている訳じゃない」って。

人間が関わる点で学校も実践的ではある。ただし、それは即、頑張れば何とかなるという話でもない。教育-学習という活動の特性、教職員の基本的属性、物的・財的条件など、どうしようもない、だからこそ説明できる(実践を待たずに述べることができる)余地も大きい。

どこまで説明できるのか、どの辺りについては説教にならざるを得ないのか。その見極めについて、より丁寧であること、「皆さんが頑張ることが大切なのです」といたずらに無責任な放談をしないで、できるだけ実践の負荷を減らすべく、より多くの説明ができるように観察して、説明を試みること、研究者と呼ばれるべき者はそんな立場にあることを心すべきと思う。
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by walk41 | 2012-11-09 09:11 | 研究のこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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