外壁を工事中の病院の前を通りかかった。休みではないことを示すために、大きな字で「診療中」と書いてある。そこで思ったのだが、病院は「営業中」とは書かないなあと。
多くの店やレストランは「営業中」あるいは「営業時間」と記して、何の違和感もない。なのに、病院や市役所などはそう言わない。この違いは何によるのか。公の色合いが濃いとされる仕事に「営業」は似合わない、それは金儲けのようにも取られるからだろう。
ならば、学校はどうだろうか。やはり「営業中」は似つかわしくない。けれど、学校経営とは言うし、積極的に学校を経営しなさいとも言われている。そこで問われるのは、「営業」ではない経営だろう。起こる事態を適切に把握すること、限られた時間でより妥当な意思決定をすること、そうした経営は必要である。ただし、これだけ資源を投入したらどんな「学力」がつくか、より少ない教員や時間で「効果的に」教え、学ばせるにはどうしたら良いか、これは難しい。これらは「営業」という言葉の意味合いに近いのかもしれない。
この中途半端なあたりが、学校教育目標にも投影されている。「~する子どもを8割以上」といった数値目標もその一つだ。営業ならば、目標が8割なのか、9割なのか、によって作戦が変わってくる。ところが、児童生徒を対象にする学校では営業に徹することができないから、目標は常に曖昧模糊としている。だから、どうすれば達成されるのかわからないような目標が設定され、また結果をどう踏まえれば次のサイクルに生かせるのかもわからない、結局、「どうでもよいものとならざるをえない目標」になるのだ。
学校では経「営」は求められても、「営」業する訳ではない。このあたりをいかに解釈すればよいか、ぜひ関係する人たちと議論したいと思う。