中学校教員が言った。「どうして、生徒を呼び捨てするのか」と研修で問うたときだ。
「だって、教える-教えられるの関係でしょ」。
う~む。まあ生徒が教えられることを消極的であれ、受け止めている限りはね。偉そうにしてもいいけれど。
そうではなくて、生徒が教えられる立場に甘んじることを受け止められなかったり、反発すら感じているとすれば、呼び捨てされることは不快なことこの上ない。そのことをこの教員はわかっているのだろうか。
こう呼ばれることで、それ以外の働きかけや関わりも否定的に受け止められる可能性をどれほど踏まえているのだろうか。呼び捨てをして、生徒がそもそも受け付けない状況を作りながら、「わかる授業の追求」などと脳天気なテーマを掲げていたりはしないだろうか。まったく訳がわからない。
ましてや、小学校では、おおよそ「くん」「さん」で蝶よ花よと大切に扱われてきた子どもが多いのに、中学校に行ったら、呼び捨てである。これを「中1ギャップ」と言わずして何だというのだろうか。
「教育効果が見込めるから」とか「そう呼ぶと生徒が喜ぶから」でなく、「何となく」そうしていて、その狙いや結果について考えない。もしこんな様子が広範に見られるのだとすれば、どこを指して「意図的な教育活動」などともっともらしいことを言えるのだろう。
学校にまつわる不思議はいっそう増えるばかりである。