ときどき、大人数の授業で学生に質問する。「子どもが好きだから教師になりたいという人は?」
結構な数の学生がこれに手を挙げる。こんな様子にどうも違和感を拭えないでいたところ、ある会合で同僚が話したことを聴いて、なるほどと強く思わされた。私の解釈も入っているのだけれど、話されたのは次のようだ。
「子どもが好き」というよりも、大切なのは「子どもに向き合えるかどうか」。このことは、「子どもがこちらを向いてくれるかどうか」とも言い換えられる。はたして、子どもが向いてくれるような自分なのだろうか、と。
私が何となく感じていた違和感とは、「子どもが好き」という見方には、子どもがいつも(だいたいは)自分の方を向いてくれるはずだという、あまりに楽観的なものだったゆえなのかもしれない。つまり、「子どもが好き」といった、ある意味で悠長な話ではないのではと感じていたように思うのだ。
大学でもあまり変わらないかもしれないけれど、児童生徒あるいは学生がこちらを向くかどうか、これは自分だけではどうしようもない。そうした関係性についての理解が伴ってこそ、教職の仕事ができるのだろうなと感じた日だった。自分が相手を好きかどうか、なんて話ではないだろうねって。