朝起きて、テレビのスイッチを入れる。ニュースが流れる。当たり前に見えるけれど、この報道のために徹夜をする人がいる。ニュースキャスターも始発電車が動く前にスタジオに入る。読み合わせをして、確認をくり返して、ようやく我々が見るニュースになる。
新聞が届く、電車に乗る、バスに乗る、当たり前のように時間通りに来てくれる(バスはちょっと幅があるけれど(^^;))。これも、そのために早起きをして、あるいはアルコールを控えて、ちゃんと働いてくれる人がいるからの賜物だ。
この他、当たり前に水道の水が出る、電気がつく、ゴミが回収される、お店が開いている、宅配便が届く、インターネットが接続できる、すべてそれらを陽に陰に支えてくれる人がいてこそのことである。特段、変わったことをする訳でなく、毎日の仕事を当たり前のようにしてくれている、だかこそ、成り立っている事実の連続である。決して大げさでなく、奇跡といってもよいかもしれない。
学校管理職向けの講演や研修会などでは、「組織を動かす」という表題がしばしば掲げられ、ともすれば、大胆な改革案や驚くようなアイディアを掲げなければいけないというイメージを持つかもしれないけれど、ほとんどのことは、「当たり前のように動く」ということである。当たり前のようにできること、それ自体が素晴らしいことなのだ。
いつぞやのテレビで知った。あれだけハイテクと思われる新幹線の発車や停車は、運転士の技量に懸かっているということを。15秒を単位に計算、随時、走行状況を確かめ、数秒以内の誤差で、駅に停車しているのだという。そんなことに思いもはせず、当たり前のように定時到着と思うのが乗客の贅沢でもあるけれど、黙々と働く人たちに支えられてこその、旅行や出張だなと感じることを大切にしたい。
繰り返し。「組織を動かす」には、ある意味で当たり前に見えることを自然に動かすことができる能力が必要である。そのように多くの人々が働けるように条件を整えること、これもまた大きなリーダーシップだろう。