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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

研究授業

ある研究授業を見せてもらった。

普段とは違う教室に移動して、壁を取り払ってヨウカン型になった部屋の後ろは、児童数の4倍は優にいると思われる各地からの参観者、この中で「普段どおり」の授業ができるなんて誰が思うのだろうか。また、子どもの背中ばかり見えるようなところに座ったままで、何が観察できるのかしら。目をつむったままの人もちらほら見えたけれど。

私としては、指導案とはちょっと違う流れで、子どもの様子にうまくかみ合わせたり、また敢えてはぐらかしながら、子どもの周りを縦横に歩く、臨機応変で緩急に満ちた授業者の話しぶりと振る舞いを、とても好ましく思った。

説明をしようと黒板の前にやってきたものの、できなかった女の子に「ちょっと休んどいてくれる?」、まだ発表の機会を得ていない子に「秘密なん? 楽しみに置いておくわ」、あるいは、違う説明がなされたあとに、「○○くん、敗北?」と、子どもの間もうまくつなぎながら、飽きさせない時間や雰囲気を作り得たこと、またそれに児童がしっかりと付いてくる様子に、ラポール豊かな普段の学級の様子がうかがえるように思えたのだ。

授業が終わっていわゆる事後検討会、ここにも150人くらいの参加者、いくつもの質問が出たけれど、それらは、なぜあの植物を使ったのか、着眼のヒントとなったのは何か、といった狭義の技術的問題に関わるものと、どこまで教えるのか否かをめぐる問題に二分されるように思った。

後者の問題は、「もっと教えてから子どもに考えさせるべきだったのでは」VS「あのように漠然とした問いかけでこそ、子どもが自由に考えられる」の構図と捉えたが、いずれも、「教える」だけ、あるいは「(真似をすると言う意味ではない)学ぶ」だけではない点は一致しており、残るは程度の問題に思われた。だから、「こうしたらいいんだ」という答えにはどちらにせよ辿り着かない。答えに至らないのだ。「こうも考えられるのでは」「こうしても良かったのでは」という、授業像の収束ではなく拡散である。だから、「より良い授業」の議論は、あれこれ考えることにこそ意味がある。

ちなみに、「もっと教科の基本概念に関わることを教えるべきでは」の意見に対する、授業者の返答が興味深かった。「子どもたちのほとんどは、いくつも掛け持ちをするくらい塾に通っており、基本概念はすでに知っている。だからこそ、そうではない方向から考えさせるために、敢えて曖昧な発問を試みたのだ」と。とても逆説的な話だなあ。

なるほど、子どもたちの状況に即してこそ、内容と方法が決まるという当たり前のことが、ここにも当てはまることがわかる。子どもの様子、クラスの雰囲気あるいはその日のお天気や授業前のちょっとしたハプニングで、授業は大きく姿を変える。授業者もその例外ではない。にもかかわららず、普遍的、一般的、そして法則的な議論を志向しがちな教育関係者の頭の中はいったいどうなっているのだろうか。それっておかしくない? って言うことを恐れているのか、それとも、そもそも変なことに気づいていないのか。

とまれ、授業者のみなさん、お疲れさまでした。
by walk41 | 2013-02-15 20:11 | 授業のこと | Comments(11)
Commented by まさ at 2013-02-16 21:21 x
天候の悪いなか参観いただきありがとうございました。授業内容についてこの場ではひとまず置かしていただき、授業をしていて意外に思えたことを一つコメントさせていただきます。それは子どもの発言(つぶやきを含む)だけでなく参観者の一挙手一投足がスローモーションのように観察できたことです。冗談のような話ですが、廊下で今誰々が写真を撮ってはるとかメモしてはるとか子どもと参観者全ての動きを見て捉えられているような感覚を覚えたことです。いつもと違った環境下での授業でありながらも、なんだかそんな環境すらが日頃の教室のような、そんな感じをもったのです。とっても不思議な感覚でありました。
Commented by walk41 at 2013-02-17 00:37
普段とは大いに違う中での授業、お疲れさまでした。

感じられた点、昔、巨人軍にいた王選手の往年、ピッチャーの投げる玉が止まって見えたと、4打席連続のホームランを放ったあとに語ったことが思い出されます。それだけ回りを観察する余裕があったということですね。だからこそ、楽しく授業が進められたのではないでしょうか。「一所懸命」な臨み方は「必死」すなわち、笑いも楽しさもない状態でしょうから、大いに笑い、和み、だからこそ「つながる」にも至るのではないかと思うのです。
Commented by むらい at 2013-05-06 19:37 x
学部2回生の時に先生の公教育経営論の講義を受けさせていただきました。
この記事を読んだときに、教育方法論のなかで主流な教育方法のアプローチとして、学者側が考えるアプローチと、現場の先生が編み出していくアプローチがあることを思い出しました。そして、今まで漠然と納得していた二つのアプローチの中からは「子どもの状況に即した」内容と方法が抜けているように思いました。私見ですが特に教科教育において、研究者の考案する方法や学校の先生が実践した方法に関する書物は充実しているけれど、「子どもの状況に即した」方法に関する書物は充実していないように思いました。
「子どもの状況に即した」といっても、その状況をどのように分類することができるのか、また分類をすること自体にも課題はたくさんあると思いますが、例えば、日本語指導が必要な子どもたちに関する教育方法の研究成果を各教科の教育方法の中に取り入れていくことや、今回の記事ような塾で基本的な内容についてすでに知っている子が多くいる場合を想定した場合の方法について考えることを糸口にできるのではないかなと思いました。
Commented by walk41 at 2013-05-06 21:30
むらいさん、しっかりと覚えていますよ。拙ブログを読んでくれてありがとう。嬉しくコメントを読みました。

あなたの意見にあるように、確かに「子どもの状況に即した」ことの難しさは推察の通りです。その上で、言われるように、日本語の指導が必要な子ども(こうした表現そのものも問い返されるべきでしょうが)、という限定されたテーマであれば、議論は深まるように思います。

いま、論文になるかどうか、書きかけているのですが、校内研究における「仮説-検証」問題というテーマにも連なって、日本の教員が、おしなべて「すべての子ども」にと、焦点を絞ることなく、いわば漠然と考えていることの問題も指摘できるように思います。

引き続き、議論しましょう。

Commented by むらい at 2013-05-07 07:04 x
覚えて下さっていたなんて、ありがとうございます。先生の講義で扱われたテーマ(子どもへの呼称についてなど)は現場で避けることのできず、一筋縄ではいかない事柄について考えるきっかけになりました。
日本語の指導が必要な子どもは外国にルーツをもつ子どもにすべきでしょうか。このような子どもたちは家庭の背景、その子の自尊心、母語での学習状況、日本語の習得状況、を踏まえて支援・指導をする必要があると思います。日本語ボランティアが毎日支援をすることはできないので、通常学級での学習が主になると思います。担任(教科担任)がつきっきりで授業を行うことは不可能で、その子自身もそのような状況を好まないと思います。だから、日常の授業に参加しながら、その子の目標を達成できるような授業の方法を考えるべきだと思います。
例えば、大菅さん(2010)の論文では、授業の理解と表現のためのいくつかの支援例が挙げられていました。(理解)展開を明示する(スモールステップ)、漢字に振り仮名をうつ、文は短い短文を用いる、二人組で学習内容を整理する、話し合う、(表現)モデル文を提示する、語句カードを作っておく、などです。(文字数の都合でつづきます)
Commented by むらい at 2013-05-07 07:05 x
実践では、これらの方法を組み合わせた授業が行われました。結果は実践前よりもその子どもが自信をもって挙手をするなど、積極的に授業に参加する姿勢が見られました。また、支援の内容はその子だけでなく、学級の子どもたちもより積極的に授業に参加する姿が見られた、ということでした。
私は、その子自身の目標や支援の手立てを考えて授業を計画することが、授業全体を改善する可能性に繋がっていることに関心を持ちました。ただ、改善された内容のいくつかは、どことなくですが、そのようにして当たり前とも感じられました。
可能性として、子どもたちの抽象的なイメージをもとに授業を計画するよりも、一人の「わからない子」「わからせるようにしたい子」をもとに授業を計画する方が、その子自身にも、また一定の子どもにも有効な手立てとなるのではないか、ということが言えると思います。
参考:「日本語指導が必要な子どもたちの学力保障をめざして―学習内容を理解し,学んだことを表現することができる学習モデルの提示―」(大菅 佐妃子2010 京都市総合教育センター研究課研究紀要No.546)
URLhttp://www.edu.city.kyoto.jp/sogokyoiku/kenkyu/outlines/h22/kiyou/546.pdf
Commented by walk41 at 2013-05-07 17:58
むらいさん、日本語指導にも強い関心を持っているようですね。本学にもお詳しい先生がおられますから、一度話を伺いに行っても良いかと思います。

また、日本語を必要とする児童生徒という話に進むなら、生活言語的な側面と抽象的で学術的な言語の側面に分けて議論することが大切でしょう。前者は友達などと関わる中で得られる部分が多いのに対して、後者は学校的な背景とセットで獲得されるので、なかなか日本語を母語にしない子どもには難しいようです。数学ができないのは日本語の意味がわかっていなかったかというようにですね。

こうしたことも日本のこれからの学校を考える上でとても大切なことだと思います。大いに議論しましょう。

Commented by むらい at 2013-05-08 17:46 x
ご提案、ありがとうございます。
今回の論文は京教のH先生の授業で紹介された論文です。
生活言語的な側面は2年ぐらいで流暢になってくるのですが、学術的な言語は7年ほどかけて獲得されていくようです。
日本語での授業だから身につけられなかったり、前提となる知識(水の単位など)を母国では習っていない状態であるのに、生活言語的な側面が流暢になってくると、「十分にしゃべれるから内容を理解できるだろう。」と先生が誤解してしまい、日本語ボランティアをやめたり、内容が理解できないのを、子ども自身の能力のせいにしてしまうこともあるようです。
日本語を必要とする児童生徒への理解を深めるためには、その子どもが内容を理解できない背景を授業や研修でとりあつかうべきだと思うのですが、私自身がこういった知識を学んだのは大学院に進んでからでした。
この子どもたちは学校に一人いるかいないかぐらいの小さな存在かもしれませんが、見落とすことのできない子どもたちであると思います。

Commented by むらい at 2013-05-08 17:46 x
私自身が強い関心をもって研究していこうと思っているのは、国語教育における教育評価と、それにあわせて教育方法の方面です。それらの先行文献を読んでいる中で、先生のこの記事を読み漠然とした「すべての子ども」を想像している自分に気づくことができました。
Commented by walk41 at 2013-05-08 20:03
H先生から論文の紹介を受けたのですね。ならば、十分わかっておられますね。

たしかに平均すればクラスに一人くらいかもしれませんが、グローバル化や近い将来の大規模な移民政策などを考えれば、すぐれて普遍的なテーマでもあると思います。修士論文のテーマになるのでしょうか。新しい切り口を期待しています。
Commented by むらい at 2013-05-08 22:42 x
なるほど。私が思っている以上に普遍的なテーマなのですね。

まだ漠然としていますが修士論文では、国語教育における評価の在り方を、実際の授業やテストで行われる評価と、入試などのハイステークスなテストにおける評価の二つの方面から考えていきたいと思っています。
個人や学級に応じた「目標に準拠した評価」が現場で求められる中で、現場ではどのような評価が行われているのか。また、特に中学校において公立高校入試の学力検査がどのような評価を用いているのか、入試が授業の内容や評価の方法、そして生徒にどのような与えているのかを調べていきたいと思っています。
そのなかで、特定の子どもたちに焦点を当ててみることを活かすことができるかもしれません。
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