東日本大震災後、被災3県をはじめとする東北地方の男性の自殺率が極端に下がったことが、山形県地域医療対策課の大類真嗣主査の調査で分かった。震災復興に伴う雇用増や景気改善が影響している可能性があるという。ただ、1995年の阪神大震災の時も、いったん下がった自殺率が2~3年後に上昇したという研究もあり、大類主査は「自殺対策の手を緩めてはいけない」と話している。(20130326 読売新聞、一部改変)
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人はなぜ自殺をするのか。その古典的作品は、デュルケーム『自殺論』(1897)だろう。デュルケームはそこで、「自己本位的自殺」「集団本意的自殺」「アノミー的自殺」の3つに類別する。
たとえば、権威や規範が弱体化し、無秩序状態になったことで起こるとされる「アノミー的自殺」論を援用してみよう。2011年の震災以後、「絆」と社会的つながりが強調され、また地震、津波、原発被害と、人々がつながらなければ生きにくい状況が生まれたこと、これにより、アノミー的状況が減少したゆえに、自殺率が低下している可能性が考えられる。
もちろん、他にもさまざまな説明が可能だろうし、最終的にはケースバイケースで一様な説明は無理とも言える。本人ですらその理由や背景がわからないことすら十分に考えられるのだから。その上でなお、自殺という文字通り、生死という個人にとって究極の問題が、個人を超えた社会的背景から説明される余地を残す、ということに気づいた広く社会学の功績は大きい。はたして、これ以上のパラドックス(逆説)があるだろうか。かくも衝撃的な発見である。
学校教育も同様に、個人の問題でありながら、社会的な問題でもある領域だ。これを捉える際に注がれる視線、認識枠組みが、「事実」を少なからず規定しており、丁寧に観察する以前にすでに結論を導き出している危険性を顧みることが大切、と改めて思わされる。そもそも、出来事じたいが見えづらい学校教育という領域についてはなお一層、である。