しばらくご無沙汰をしました。お元気でお過ごしでしょうか。
沖縄県は首里に行ってきました。世界遺産の首里城を見るのが目当てでしたが、その道すがら、いまは県立大学の敷地内に、こんな碑が建っているのを知ったことです。
今でこそ、関西から飛行機で2時間ほど、モノレールを使えば30分ほどでたどり着けますが、その当時、沖縄各地の島々からやってきた人たちと、「本土」からここに来た人たちが集うのは、決して容易でなかったかと思います。そんな中、教職への志しはどんなものだったのだろう、と思わされます。
沖縄語もあり、言語を始めとした文化の葛藤の場であっただろう教職教育、そこに携わった人たちは、今の学校教育の様子をどんなふうに嘆き、また憧れていることでしょうか。